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落語

落語

落語(らくご)は、近世期の日本において成立し、現在まで伝承されている伝統的な話芸の一種である。「落し話(おとしばなし)」、略して「はなし」とも言う。

都市に人口が集積することによって芸能として成立した。成立当時はさまざまな人が演じたが、現在は通常、それを職業とする人が演じる。衣装や道具、音曲に頼ることは比較的少なく、身振りと語りのみで物語を進めてゆく独特の演芸であり、高度な技芸を要する伝統芸能でもある。

本来「落語」とは落語家が行う演目(ネタ)のなかでも滑稽を中心とし、落ち(サゲ)を持つ「落とし噺」(おとしばなし)のことを指したが、現在では人情噺・芝居噺をも含めた総称として用いられる。
落語は寄席(よせ)と呼ばれる常設館や一般のホールで演じられることが多いが、近年は若手による小さなライブもある。落語家の舞台のことを「高座(こうざ)」と呼ぶ。

江戸落語と上方落語には小道具や慣習に違いがある。

落語 演目の種類

落語演目の分類にはいくつかの方法があり、それによって立てられる種類や区分も異なってくる。
成立時期によるもの – 古典落語/新作落語(創作落語)

江戸期から明治期ごろまでに原型が成立し、戦前までの時期に演出が確立した演目を「古典落語」とする。それ以外の「新作落語」は、多くの場合、作者もしくは初演者以外の噺家がネタにしていることが少なく、斯界全体の共通財産となっていないことが多いが、社会の動向に機敏に反応した時事的な作品や風刺性の濃いものが多いのが特徴である。なお、両者の線引きは必ずしも明確ではなく、多くの演者によって演じられる新作落語(桂米朝作「一文笛」等)のように境界線上にある作品も少なくない。

落語 演出の方法・構成によるもの – 落とし噺/人情噺/芝居噺(怪談噺・音曲噺)

古典落語のうち、滑稽を中心とし、噺の最後に落ちまたはサゲのあるものを「落とし噺」という。
人情の機微を描くことを目的としたものを「人情噺」とする。人情噺はたいていの場合続きものによる長大な作品で、かつては主任(トリ)に出た噺家が10日間の興行中連続して演じるものであったが、現在ではその区切りのいい一部分が取出されて演じられることが多い。この理由から、サゲはかならずしも必要ではない。

「落とし噺」や「人情噺」が素で上演されるのに対して、芝居のような書割や音曲を利用し、場合によっては演者が立って芝居のごとき見得をしたりする演目を「芝居噺」という。特に幽霊の出てくるような怪談噺は、途中までが人情噺で、末尾が芝居噺ふうになっている場合が多い。広義には芝居を題材にしたり、パロディにしたりしている演目を芝居噺とすることもある。この場合には、全体として「落とし噺」の構造を取り、なかにところどころ歌舞伎ふうの台詞廻しが混じる程度で、立って所作を行うことはない。

また大げさな所作が加わらなくても、音曲を利用して話をすすめてゆくネタもあり、これらを「音曲噺」と称する。 上方落語では噺の途中にはめものとして下座の音曲が利用される事が通常であるため、音曲噺という分類は江戸落語に限られる。

落語 難易度によるもの – 前座噺(旅のネタ)/大ネタ
前座が初めに習い覚える話を「前座ばなし」と呼ぶ。多くは口慣らしや口捌きを兼ねた単純で短い、しかし基礎的な技術を養うのに適したネタで、二つ目や真打によって演じられることもあるが、比較的簡単な軽い話とみなされるためにトリの演目になることは無い。

逆に大作といわれるネタや人情噺などのうちで特に難易度の高い作品を「大ネタ」と俗称することもある。上方では前座噺として長い続きものの「旅のネタ」を行うことが多い。どこで切って次の演者をあげてもいいようにできているためだといわれる。

落語 サゲの種類によるもの(落とし噺)

にわか落ち、ひょうし落ち、逆さ落ち、考え落ち、まわり落ち、見立て落ち、まぬけ落ち、じこく落ち、とたん落ち、ぶっつけ落ち、しぐさ落ちなどがある(落ちの項参照)。必ずしも十分な分類法ではないが、現在もっとも広く用いられている。このほかに桂枝雀による四分類法(ドンデン、謎解き、へん、合わせ)がある。

落語 表現の要素

落語の口演
落語において用いられる表現の要素は、
言葉
音声として発せられる口頭語。
仕草
最小限のものに限られ、基本的に立上って歩くことはない。
仕草のための小道具
扇子、手ぬぐい、上方落語における見台と拍子木、張扇の五種に限定される。

落語 そのほか特殊な演目における付随的要素

上方落語・音曲噺のはめもの、芝居噺の書割・ツケなど。
口演には直接関係ないが、落語の演ぜられる場を構成する要素
出囃子、噺家の衣装(着物)、座布団、高座、めくりなど。
の五種に区分することができる。このうち特に重要なのは言葉と仕草であり、これが落語という芸の根幹を成しているといえる。以下、言葉と仕草という要素を中心に説明してゆく。

落語 言葉

一般的に古典落語には定められた口演台本があり、噺家はこれを記憶して高座で再現する(ただし必ずしも筆記されたものとは限らない。多くの場合は口伝えである)。すなわち落語のもっとも基礎的構成要素は、これらの台本を含めた「言葉」であるといえる。言葉の側面から見た落語には以下のような特徴が指摘できる。

地の文と会話文(対話文)で構成されているが、噺の勘所にくると会話文によってテンポよく話を進めてゆき、説明的な地の文が少なくなる(この点が話芸としての講談との相違である)。

地の文の省略によって伝えきれないディテール(登場人物の細かい気持の変化や感情、会話をとりまく情景)は仕草によって補われて表現される。

登場人物の多寡にかかわらず全てを一人で演じ、役割わけをしない。このため声調、言葉づかい、話しかたなどによって登場人物の個性を印象づける工夫がなされる。

会話文から地の文への移りやその逆の場面、あるいはその他大勢的な多人数の会話においては、だれの視点から語られているのか判然としない語りが存在したり、気づかない間に語りの担い手が入れ替わったりするが、それが聴衆には不自然に聞こえない。

落語 仕草

仕草は、落語において言葉の欠を補うための存在である。すなわち演劇のように話のすべての部分について仕草が伴っているわけではなく、言葉だけでは表現しきれない部分に補足的な意味を持って仕草が付加されているのである。

もっとも「言葉だけでは表現しきれない」内容については、言葉では端的に表現できない動作や前述「言葉」の項で述べたような地の文の欠如を補うといった低次のものから、素の芸において聴衆の想像力を刺激するために付加されるきわめて高度のものまで含まれる。仕草においても言葉同様、一人全役が原則であり、噺家は必要に応じて次々にさまざまな役のさまざまな仕草を仕分ける。 仕草の主なものには以下のようなものがある。

表情:登場人物の表情を演じる。必要に応じてわざと強調した、おもしろい表情をつくることもある。
視線:上位の人物が下位の人物に話しかける場合には舞台下手を向き、逆の場合には舞台上手を向く。会話の部分において、こうして視線を切り替えることが、登場人物を仕分けて聴衆に印象付ける効果的な手法となる。
ものを食べる:閉じた扇子を箸に見立てて、あるいは手づかみで、さまざまなものを食べる仕草が落語のなかにはある。食べものや食べる状況によって仕分けるコツがそれぞれにある。名人桂文楽が甘納豆(「明烏」)・枝豆(「馬のす」)などで見せた至芸が有名。
歩く:正座したまま、あるいは軽くひざ立ちぐらいになって、手をぶらぶら動かしながら、両膝を交互に動かす。立上って実際に歩くことは基本的にない。
書く:もっとも一般的には手ぬぐいを帳面や紙、扇子を筆に見立てて字を書く。上方落語の場合は見台を机に見立てることもある。
舟を漕ぐ:落語にはめずらしい大きな動きで、扇子を竿や艪にして演じる。力仕事らしい感じを出さなければならない。

寝る:横になることができないので、腕を添えてひじ枕の感じを出す。演出上の工夫である。
指さす・目をつかう:落語の性質上、噺のなかに登場するモノを実際に高座に持出すことは不可能であるために、虚空を指さしたり、見たりすることで、あたかもそれらがあるかのように演じる工夫がある。例えば「刀を抜く」という仕草の場合、扇子を柄に見立てて抜いた後、鍔元から切先まで視線を動かしながら見ると、刀の長さが観客に伝わるという口伝がある。

涙を流す:主に人情噺で多く用いられる。高座に持参した湯呑みの中の茶や湯に指をつけ、その指で目の下を縦になぞる。

厳密には話芸ではないが、食べる、飲む、歩く、走る、着るなど、登場人物の動作を、座布団の上に制限された動きで表現することも、臨場感を出す上で非常に重要な役割を果たす。

落語 道具

使用する道具は、原則として扇子と手ぬぐいに限られる(稀に湯呑みも使われる)。扇子と手ぬぐいは、落語の表現上抽象性があらかじめ与えられており、状況に応じて、前者は箸や刀になり、後者は財布や証文になるなど、様々な用途で使用される。

扇子は落語家の符牒で「カゼ」と呼ばれ、特に幅が広く作ってある。刀、槍、箸、筆、キセルなど棒状の物の他に、開いた状態で手紙や提灯に見立てられる。

手ぬぐいは「マンダラ」と呼ばれる。財布や証文、煙草入れ、本、巾着など袋状・布状の物の他に、紐や縄として使われる。

上方落語ではこれらの他に見台と呼ばれる簡素な台と膝隠しが演者の前に置かれることがあるなどの特徴がある。

落語 服装・効果音

落語家は単純な柄か無柄の和服を着用する。このとき、羽織の脱ぎ方一つをとっても約束事があり、演目のイントロダクションともいうべき関連した話題や背景を紹介していく枕から本題に移行する合図として羽織を脱ぐ場合、大店(おおだな)などの商家を扱った演目では羽織を羽織ったままの場合、八つぁん・熊さん等の名で代表される町人や職人が登場するものでは羽織を脱ぐ、などの区別がある。更に、羽織の脱ぎ方も肩から滑らせるようにして一瞬で脱ぐ所作も注目すべき点である。このような決めごとにより、観衆の耳目を自身の芸そのものに集中させる。落語は純粋な話芸であり、演じている最中は、音曲や効果音などは制限される。ただし地域や演目などによっては、出し物の最中に音曲や効果音が使用される場合がある。
話の構成 [編集]

本筋に入る前に演目に関わりのある小話が語られ、これを「枕」という。これの果たす役割は、小話で笑わせて、本題の前に聴衆をリラックスさせる、本題に関連する話題で聴衆の意識を物語の現場に引きつける、落ちへの伏線を張る、などが挙げられる。

古典落語の演題の中には、現在では廃れてしまった風習、言葉を扱うものがあり、それらに関する予備知識がないと、話全体や落ちが充分に楽しめないことがあり、枕がこの目的にあてられることも多い。

本来の筋にはない、演者によって挿入されたおかしみのある部分を「くすぐり」と呼ぶ。一般的には話の筋から大きく外れないくすぐりが好まれる。

本来は落し咄は落ちによって締めくくられるが、最近は口演時間(寄席では概ね一人 15 分見当)の制約や、時代的に判り難い下げが出て来たなどの関係で、本来の下げまで行かずに終ることも多い。 前述のように人情噺、芝居噺などのほとんどには落ちはない。

落語 他の芸能との違い

落語が再現芸術でありながら演劇や舞踏と一線を画して考えられるのは、演劇・舞踏といった芸能が通常扮装を伴って演技されるのに対して、落語においては扮装を排し、素のままで芸を見せるためである。

すなわち落語では、噺家は登場人物や話の流れに相応しい身なりや格好をモノ(衣装・小道具・大道具・書割・照明・効果音)で表現することはなく、主として言葉と仕草によって演出効果をねらう。そのために、落語の表現要素は (1) 噺家の芸に結びつく基本的な要素(言葉、仕草)と (2) 1 を助けるためにその場に応じて何にでも変化できるようなニュートラルな最低限のモノ(小道具、衣装)とに区分することができるのである。これは、素の芸であることを前提とする落語の大きな特徴であるといえるだろう。

一人の話者が聴衆を笑わせる芸としては、ほかに漫談が挙げられる。しかし、漫談が聴衆に語りかける話法を用いるのに対し、落語は主として登場人物同士の対話によって話が進められてゆくことがひとつの大きな特徴といえるであろう。枕の部分を別とすれば、落語の本筋の部分では、必要最小限の情景の叙述(「地」といわれる部分)と、演出上、話からはなれて緊張を解くなどの目的で、「語りかけ」に戻ることもあるが、主として、物語は対話で成り立っている。 会話が少なく、主にいわゆる「地の文」で展開される話を「地噺(じばなし)」と呼ぶ(『紀州』など)。

落語 歴史

東京における代表的な寄席の一つ・新宿末廣亭
おもしろみのある話の源流は『竹取物語』、または『今昔物語』や『宇治拾遺物語』に収められた説話にまでさかのぼる。滑稽な話を集めた本の元祖としては、誓願寺の安楽庵策伝が京都所司代の板倉重宗に語った話をもとに作られたという1623年の『醒睡笑』が挙げられる。

この本を元にして『子ほめ』『牛ほめ』『唐茄子屋政談』『たらちね』など現在でも演じられるはなしが生まれた。また、豊臣秀吉の茶話相手をつとめる御伽衆の一人、曽呂利新左衛門も落語家の先祖であるといわれるが、架空の人物であるとも言われる。

17世紀後半になると、江戸の町では大坂出身の鹿野武左衛門が芝居小屋や風呂屋で「座敷仕方咄」を始めた。同時期に京都では露の五郎兵衛が四条河原で活躍し、後水尾天皇の皇女の御前で演じることもあった。大坂には米沢彦八が現れて人気を博し、名古屋でも公演をした。また、『寿限無』の元になる話を作ったのが初代の彦八であると言われている。

18世紀後半になると、上方では雑俳や仮名草子に関わる人々が「咄(はなし)」を集め始めた。これが白鯉館卯雲という狂歌師によって江戸に伝えられて江戸小咄が生まれた。上方では1770年代に、江戸では1786年に烏亭焉馬らによって咄の会が始められた。やがて1798年に岡本万作と初代三笑亭可楽がそれぞれ江戸で2軒の寄席を開くと、その後寄席の数は急激に増えた。

幕末から明治にかけて活躍した三遊亭圓朝は歴史的な名人として知られ、圓朝の高座を書き記した速記本は当時の文学、特に言文一致の文章の成立に大きな影響を与えた。

1876年4月、東京府権知事楠本正隆の名で、諸芸人に対し鑑札を発行し、税金を課すことを布告。これにより芸界の統一も不可欠となり、芸人仲間のうちで人望と実力のある三人が頭取として選ばれた。三遊亭圓朝、3代目麗々亭柳橋、6代目桂文治の三人が交代で月番で責任を負うシステムが作られた。くじ売りの禁止、シモがかったネタの制限など、警察による寄席の取締も徐々に厳しくなり、高座は健全化されていった。

1917年8月には柳派と三遊派が合併し、4代目橘家圓蔵、初代三遊亭圓右、3代目柳家小さんら売れっ子たちが中心となり、大手の寄席二十八軒との月給制の契約を交わす演芸会社「東京寄席演芸株式会社」を旗揚げした。その月給制に反対し、従来どおりのワリ(給金制)で対抗するべく、5代目柳亭左楽は「三遊柳連睦会(通称、睦会)」を設立した。その後前者は翌年11月に分裂。

「東京演芸合資会社」と名前を変え、一方では上野鈴本を中心とした一派が「落語席中立会」(通称、中立会)を結成し、これがのちに「東西落語会」(東西会)へと発展した。1923年9月1日に起こった関東大震災を契機として三派合同の気運が生まれ、のちに合併し「東京落語協会」(落語協会の前身)を設立した。


上方では明治期に桂派と浪花三友派とがしのぎを削り、初代桂文團治・二代目桂文枝・三代目笑福亭松鶴ら名人上手が輩出、大正から昭和にかけて初代桂春團治らが活躍したが、昭和期に漫才に押されて一時衰退、戦中戦後五代目松鶴・四代目桂米團治ら「楽語荘」によって辛うじて命脈が保たれたのち、上方落語協会が設立、今日の繁栄を迎えている。
大学のサークルとしての落語研究会(通称「落研(おちけん)」)が生まれたのは昭和20年代頃で、現在、学生落語の全国大会として、“落語の祖”といわれる安楽庵策伝の名を冠した「全日本学生落語選手権・策伝大賞」が年1回、岐阜市で開催されている。


落語 落語家の所属団体

寄席や演芸場(ホールともいう)の興行で演じるプロを落語家(噺家)と呼ぶ。落語家の同業組合(ギルド)に加入していないとプロとは呼ばれない。ギルドである以上、内部では徒弟制度が敷かれている。

落語 関東の落語家

社団法人落語協会(落協)
社団法人落語芸術協会(芸協)
円楽一門会
落語立川流


落語 関西の落語家

上方落語協会

落語 その他

東方落語民話寄席

落語の演題

:Category:落語の演目、落語の演目一覧を参照。

落語 録音・録画の収集

高座の模様が収録されたレコード、カセットテープ、CD等が市販されており、購入して収集したり、ラジオ、テレビ等で落語を放送する番組をオープンリールテープやカセットテープ、MD等に録音、ビデオテープ等に録画をするエアチェックをして記録メディアに録音・録画をし収集することも容易である。

現在では入手不能な、戦前の落語家たちの名演が聞けるSP盤を集める者もいる。特に著名な収集家として、レコード(SP)蒐集では 八代目都家歌六と岡田則夫が挙げられる。

「SPレコード 復刻CD集 昭和戦前面白落語」
八代目都家歌六の著書『落語レコード八十年史』
レコード化されていない音源なら 川戸貞吉が挙げられる。彼は落語テープの収集では日本一[要出典]。放送等に限らず、独自に高座を収録し録音を残し続けた。


CDボックスセット 川戸貞吉(撰)『古典落語の巨匠たち・寄席の噺・ホールの噺』第一期・第二期(ゲオ)
その他、玉置宏は「ラジオ名人寄席」にて収集家であることが放送された。
また、玉置宏を告発した草柳俊一は、多くの落語録音にレコーディング・エンジニアとして従事し「極楽亭プロジェクト」なる協同蒐集活動を呼び掛けてはいるが、研究活動名義による市販音源の複製品の聞き廻しや、エアチェック音源の交換をweb上でよびかけるなど、蒐集活動に法的問題があるなどの指摘があるため、研究者に含めないケースが多い。
矢野誠一・草柳俊一(著)『落語CD&DVD名盤案内』ISBN 978-4479300168
落語に関するありとあらゆる資料(書籍・古書・音源・刷物・グッズ・自筆物など)の個人収集家としては次の3氏が挙げられる。
桂文我 (4代目)
岡田則夫(前出)
前田憲司

落語 その他

明治時代から興行収入の歩合(割)だけでは生活が成り立たなくなってきた。スポンサー(旦那、お旦)からのお小遣いや、妻の賃労働収入をあてにしたり、落語家自身がお座敷(酒席)での余興から収入を得たりした。副業・内職・アルバイトの、収入源・額は様々である。

落語 関連項目

落語研究会 (落語会)
落語研究会 (サークル活動)
日本お笑い史
寄席
禁演落語
落語家
落語家一覧 (五十音順)
落語家の亭号一覧
香盤
いき
野暮
名跡

落語 関連書

歴史書
暉峻康隆『落語の年輪』(2分冊、河出文庫)
『名人名演落語全集』の1巻〜8巻まで
落語家のバイオグラフィーや襲名記録をまとめたもの
橘左近『東都噺家系図』
『古今東西落語家事典』
山本進 『図説落語の歴史』 河出書房新社 2006年 ISBN 4-309-76079-1


落語のネタが元になった作品 及び 落語を題材にした作品

落語のネタが元になった作品

落語 映画

映画 落語長屋は花ざかり 1954年 監督:青柳信雄
映画 夏祭り落語長屋 1954年 監督:青柳信雄
映画 落語長屋お化け騒動 1954年 監督:青柳信雄
映画 幕末太陽傳 1957年 監督:川島雄三
映画 大笑い江戸っ子祭 1959年 監督:齋藤寅次郎
映画 幽霊繁盛記 1960年 監督:佐伯幸三
映画 運がよけりゃ 1966年 監督:山田洋次
映画 落語野郎 大脱線 1966年 監督:杉江敏男
映画 落語野郎 大馬鹿時代 1966年 監督:杉江敏男
映画 落語野郎 大爆笑 1967年 監督:杉江敏男
映画 落語野郎 大泥棒 1967年 監督:松林宗恵
映画 ゴルフ夜明け前 1987年 監督:松林宗恵
映画 怪談 2007年 監督:中田秀夫
映画・テレビドラマ 歓喜の歌 (映画)2008年 監督:松岡錠司 (テレビドラマ)2008年 制作:北海道テレビ(テレビ朝日系列)

落語 テレビ
テレビ番組 にほんごであそぼ「寿限無」2003年 NHK教育テレビ
テレビ番組 てれび絵本「えほん寄席」 2006年〜 NHK教育テレビ(2008年現在も 不定期に放送)

落語 ラジオ
ラジオドラマ ラジオ生放送ドラマ「芝浜」 2006年 文化放送
ラジオドラマ 生ラジオドラマ「火焔太鼓」 2007年 文化放送

落語 舞台

宝塚歌劇 月組公演 なみだ橋えがお橋 2002年 作・演出:谷正純
宝塚歌劇 花組公演 くわらんか 2005年 作・演出:谷正純
舞台 地獄八景・・浮世百景 2007年 監修:桂米朝 脚本:東野ひろあき 演出:G2

落語 その他

アニメーション(ビデオソフト) 山藤章二のラクゴニメ Vol.1〜Vol.10 続1〜続2 1993年〜 イラスト:山藤章二 企画:APPカンパニー 販売:ポニーキャニオン (DVD) 2003年 Vol.1〜Vol.4
短編アニメーション 頭山 2002年 監督:山村浩二

落語 落語を題材にした作品

落語 映画

映画 泣き笑い地獄極楽 1955年 監督:浜野信彦
映画 世にも面白い男の一生 桂春団治 1956年 監督:木村恵吾
映画 羽織の大将 1960年 監督:千葉泰樹
映画 落語天国紳士録 1960年 監督:青柳信雄
映画 色ごと師春団治 1965年 監督:マキノ雅弘
映画 陸軍落語兵 1971年 監督:弓削太郎
映画 の・ようなもの 1981年 監督:森田芳光
映画 花とアリス 2004年 監督:岩井俊二
映画 やじきた道中 てれすこ 2007年 監督:平山秀幸
映画 しゃべれども しゃべれども 2007年 監督:平山秀幸
映画 落語娘 2008年 監督:中原俊
映画 落語物語 2011年 監督:林家しん平

落語 テレビ

テレビ番組 クライマックス 人生はドラマだ 第22回 「古今亭志ん生」 1960年 日本テレビ
テレビドラマ アーラわが君 1969年 フジテレビ
テレビドラマ 東芝日曜劇場 第933回 「秋は浪花のため息」 1974年 朝日放送
テレビドラマ 泣いてたまるか 第6話 「こちら突撃リポーター」 1986年 TBS系列
テレビドラマ 金曜ドラマ タイガー&ドラゴン 2005年 脚本:宮藤官九郎 TBS系列
テレビアニメ 落語天女おゆい 2006年 原作:桂歌若 作画:いけだたかし
テレビドラマ 昭和の爆笑王ドラマスペシャル「林家三平ものがたり おかしな夫婦でどうもすいませーん!」 2007年 テレビ東京系列
テレビドラマ ちりとてちん 2007年 (NHK連続テレビ小説)
テレビドラマ 子ほめ 2007年 関西テレビ

落語 ラジオ

ドキュメンタリードラマ はなし塚異聞 2001年 脚本・案内役:桑名英文 NHKラジオ第1放送

落語 小説

小説・映画 鬼の詩 (小説)1974年 著:藤本義一 (映画)1975年 監督:村野鐵太郎
小説・テレビドラマ 志ん生一代 (小説)1977年 著:結城昌治 (テレビドラマ) おりんさん 1983年 制作:東海テレビ(フジテレビ系列)
小説 春桜亭円紫シリーズ 1989年〜 著:北村薫
小説・映画 上方苦界草紙 (小説)1991年 著:藤本義一 (映画)1991年 監督:村野鐵太郎
小説・映画 寝ずの番 (小説)1998年 著:中島らも (映画)2006年 監督:マキノ雅彦
小説・ラジオドラマ・漫画・映画 しゃべれどもしゃべれども (小説)1998年 著:佐藤多佳子 (ラジオドラマ)1999年 NHK-FM (漫画)2007年 (映画)2007年 監督:平山秀幸
小説 ハナシがちがう!—笑酔亭梅寿謎解噺 2004年 著:田中啓文
小説・映画 落語娘 (小説)2005年 著:永田俊也 (映画)2008年 監督:中原俊
小説 落語シリーズ《三人目の幽霊 他》 2001年 著:大倉崇裕


落語 エッセイ

エッセイ・映画・テレビドラマ 与太郎戦記(エッセイ)1979年 著:春風亭柳昇 (映画)与太郎戦記 1969年 監督:弓削太郎 続・与太郎戦記 1969年 監督:臼坂礼次郎 新・与太郎戦記 1969年 監督:田中重雄 与太郎戦記 女は幾万ありとても 1970年 監督:弓削太郎 (テレビドラマ)花王名人劇場 「春風亭柳昇の与太郎戦記 ああ出征の巻」 1983年 関西テレビ
エッセイ・テレビドラマ (エッセイ)正蔵師匠と私 1988年 著:2代目林家正楽 (テレビドラマ)晴のちカミナリ 1989年 NHK総合テレビ
エッセイ・テレビドラマ 噺家カミサン繁盛記 (エッセイ)1990年 著:郡山和世(柳家小三治夫人) (テレビドラマ)1991年 フジテレビ

落語 漫画

漫画・テレビドラマ じんじんの仁 (漫画)1973年 原作:小松君郎 作画:影丸譲也 (テレビドラマ)1974年 東京12チャンネル(現 テレビ東京)
漫画 パタリロ! 1978年 著:魔夜峰央
漫画 寄席芸人伝 1982年 著:古谷三敏
漫画 こんこんちきち 1996年 著:なかいま強
漫画 山遊亭海彦 1997年 原作:立川談四楼 作画:さだやす圭
漫画 風とマンダラ 1998年 著:立川志加吾(現・雷門獅篭)
漫画 え~カミさんを一席 2000年 著:星野めみ
漫画 帰ってきたえ~カミさんを一席 2003年 著:星野めみ
漫画 たまちゃんハウス 2005年 著:逢坂みえこ
漫画 如春亭にようこそ 2006年 著:星野めみ
漫画 雷とマンダラ 2006年 著:雷門獅篭
漫画 オチケン 2006年 著:むっく(同人誌)
漫画 風間亭やんわり 2008年 著:風間やんわり(落語の演題を現代の解釈で漫画化)
漫画 わらばな ????年 原作:田中啓文 作画:たなかしえ
漫画 じょしらく 2009年 原作:久米田康治 作画:ヤス
漫画 どうらく息子 2010年 著:尾瀬あきら 監修:柳家三三

落語 その他

舞台 すててこてこてこ 1996年 脚本:吉永仁郎
舞台 劇団こまつ座公演 圓生と志ん生 初演:2005年 脚本:井上ひさし

笑話集

笑話集

笑話集(わらいばなししゅう)は、笑い話やジョークの類でまとめた書籍のこと。

権力者を風刺した話からいわゆる「下ネタ」、無学者を笑う話から逆に彼らを嘲笑っている学者や知識人達が失敗する話などその種類は多彩である(ただし、「古典文学」に属する作品には障害者などの社会的弱者を笑う話など当時は許容されていても今日の社会感情には反したものも少なからず存在することに留意する必要がある)。

中国の笑話集

中国では、魏の家臣であった邯鄲淳(132-220以後)による『笑林』が古代における集大成であると言われている。だが、当時の主流派である儒学者からは「低俗な書籍」として忌み嫌われて排斥されてきたために、中国ではその多くが散逸してしまった(却って、日本に持ち込まれてそのまま残されて日本にしか残っていない作品も存在する)。

明代に入ると大衆文学が盛んになるとともにこうした説話を集める人達が増加して再び盛んになった。その代表作が趙南星(1550-1627)の『笑賛』と、馮夢竜(1575-1646)の『笑府』である。

両方とも著者は政治的には不遇であった政治家・儒学者であった。前者は高官にまで昇りながら権臣魏忠賢によって流刑にされ、後者は明の滅亡後も南明政権に加わって清軍と戦って戦死したとも、亡命先の日本で客死したとも言われている。清代の『笑林広記』(著者は「游戯主人」と名乗るがその伝記は不明)が近世における集大成であり、以後のものは以前の作品の焼き直しばかりとなり、衰退していくことになる。

日本の笑話集

風来山人(平賀源内)による抄訳本『刪笑府』。安永五年=1776年刊。「まんじゅうこわい」の原話の部分。
日本でもこうした明の笑話集の影響を受けて、江戸時代初頭に安楽庵策伝によって『醒睡笑(せいすいしょう)』を著している。続いて『昨日は今日の物語(きのふはけふの物語)』などが出されて以後日本でもこうした笑話本が書かれるようになった。

江戸時代中期から明治にかけては、漢文の笑話集の和刻本がいろいろと刊行され、広く読まれた。最初に出たのは、寛延四年(1751)に刊行された岡白駒(おかはっく)編『開口新語』である。漢文笑話の原文に訓点を施し、ところどころ漢文の左側に江戸時代の口語で短い訳語を付す、という体裁であった。『開口新語』の成功をうけて、以後、この体裁にならった漢文笑話集が、続々と刊行された。例えば平賀源内(風来山人)も、『笑府』の抄訳『刪笑府』を出版している(右の画像)。「江戸小咄」の原案も、元はこうした和漢の笑話本の翻案に由来しているものが多いとされる。

笑話集 派生物

中国における講談や日本の落語も笑い話をもって観客を笑わせていくという流れの中において成立したものであり、今日の漫才などのお笑い全般に至るまでその影響力は決して小さくはない。

ジョーク

ジョーク (joke) は聞き手や読み手を笑わせたり、ユーモアを感じさせる小咄や短い文の事。日本語では音と意味の近い冗句(じょうく)と当て字されることがある。ここでいう「ジョーク」は、悪ふざけ (practical joke) とは異なる。

医学面などから見たジョークの効用

喜劇、落語、漫才、コント、ユーモア、駄洒落、風刺などにも同じことが言えるが、笑うことで全身の内臓や筋肉を活性化させたり、エンドルフィンを血液中に大量に分泌させるなどの他に、免疫力を高める効果もあることが証明されつつある。

ジョークは学術的な研究も行われていて、フロイトの研究にも「ジョークとその無意識に対する影響」というものがある。 マービン・ミンスキーは、著書の『心の社会』(Society of Mind)の中で、笑いは人間の脳に対して特殊な機能を持つと述べている。彼によれば、ジョークと笑いは脳が無意味を学ぶメカニズムと関係するとのこと。同じジョークを 繰り返し聞くとあまり面白くなくなるのはこの学習のためである。

ジョークの形式(パターン)

殆どのジョークは 2つの部分からなる。それは、設定(例えば、「男がバーに入り……」)と、聞き手を笑わせるのに必要な皮肉を感じさせる落ちである。

ジョークの分類

ジョークは多くの場合、思いがけない面白さがあるかに依存している。控えめなタブーや固定観念など定番ものから、さまざまの文化的な俗説、風評を元にしたものなど、あらゆる事柄がジョークとして話される。多くのジョークの中には決まった枠組み、タイプに収まりきらないものも少なくない。

世界各国にはさまざまなジョークがあるが、この項では主にアメリカン・ジョークについて述べる。ジョークの理解には文化的背景の共有が必要な場合も多く、理解が難しいこともある。

職業のジョーク

職業を元にしたジョークはアメリカ合衆国において一般的である。主に政治家や弁護士などをターゲットにしたものが多く、民衆の不満感を裏に持っていると思われる。

Q:あなたは、殺人鬼、強姦魔、弁護士の3人と一緒に部屋に閉じ込められている。あなたは拳銃を持っているが、残りの弾薬は2発しかない。あなたならどうする?
A:弁護士に2発撃ち込む。

イタリア人は、カラビニエリ(憲兵隊)についてのジョークを好む。カラビニエリもそのことをよく知っていて、カラビニエリのウェブサイトでもユーモアとして用いられたり、たまに発表に添えて自らジョークを用いたりし、そういった風刺を楽しんですらいる。
カラビニエリは、そういったジョークを蒐集したり、開発したりするための専用の部署をローマに持っていることは有名である(注:もちろんこれもジョーク)。
我々の職員は、パトカーを綺麗にすることにも大変熱心で、各々の勤務の終わりには、灰皿を空にするために必ず自動車ごとひっくり返しています。

— (カラビニエリの公式ウェブサイトより)

お前の母ちゃんジョーク(ダズンズ)

この種のジョークは、西アフリカ系のアフリカ系アメリカ人2人(通常男性である)が口汚くののしりあう様を面白おかしく描写したものである(日本でいう「お前の母ちゃん、デベソ!」という罵声に近いもの)。悪口の標的となるのは相手の母親であることが多いが、他の家族全員を対象とする場合もある。
お前の母ちゃんってば、お前の父ちゃんが「外が寒い(chilly、料理のチリはchilli)ぜ」っていったら、スプーンもって飛び出していっちゃったんだってな、すげえ馬鹿じゃん。
お前の母ちゃんってば、色が黒すぎて、炭に指紋が残るよな。
お前の母ちゃん、デブすぎて、体重計に「続く」って出たらしいな。
お前の母ちゃんのメガネ、レンズがぶ厚すぎて未来まで見えらぁ。

政治ジョーク
世界各国の政治的紛争や戦争は、ジョークなど風刺の形で揶揄される。
伊豆諸島の八丈島で有望な石油鉱脈が発見された。翌日、韓国で八丈島が檀君朝鮮時代から韓国領であることを示す地図が発見された。 そのまた翌日、中国で檀君朝鮮は中国の従属国であったという文献が発見された。

政治家ジョーク

政治家ジョークとは、政治家や国家の要人についてのジョークである。
ソ連でブレジネフ書記長を白痴呼ばわりした男が逮捕された。嫌疑は国家元首侮辱罪と国家機密漏洩罪。

Q:子供と誠実な政治家とサンタクロースが道に落ちている20ドルを見つけた。それを拾ったのは誰?
A:子供。あとの二つは存在しないから。

ジョージ・ブッシュ大統領は、調理済み食肉類の工場における致死性の食中毒菌であるリステリア菌(リステリア・モノサイトゲネス)の新たな検出・検査方法について承認した。それによると、全ての調理済み食肉類はブッシュの「ホットドッグを食べ残すな」キャンペーンにしたがって定められた試験に合格しなければならない。[1]

若いカップルが墓場に通りかかった。墓石の碑文には「誠実なる男、そして政治家、ここに眠る」と書かれていた。それを読んだ男が女に言った。「見ろよ、1人の墓に2人も埋められているぞ」

政治家のXは、あまりに嘘をついているので、他の政治家がそれに気がつきはじめている。

英語が苦手な森喜朗。ビル・クリントンと会うに当たり側近から、「How are you?」とだけ問うてクリントンから「I’m fine」と答えがあったら「Me too.」とだけ返せばよい、と教わった。しかし実際にクリントンと会った際に彼の口から出た第一声は「Who are you?」だった。[2]

これに対し、相手が「I’m husband of Hilary」(ジョークだと思い、ジョークで返した)と返し、さらに「Me too.」と答えてしまったという展開も存在する。

なぞなぞ

ジョークは時として、なぞなぞの形を取る事もある。これは日本のとんち話に近いものである。
Q:What is black and white and read (red) all over? (Q:黒くて白くて赤いものってなーんだ?)
A1:新聞。

red(赤い)とread(読む)の過去形・過去分詞形は同じ発音であることにかけたジョークである。この類のジョークは、発音の語呂合わせがオチになることが多い。これは他の色の場合にも同様である。
A2:赤面するシマウマ。

このジョークは、A1のような、トラディショナルなバージョンを既に知っていたり、「red」との語呂合わせである「read」を期待している人たちに対しても素朴に微笑ましいものである。これのタイプは、ごく普通の「ひねり」の効いたジョークで、一般受けしやすいものである。同様のひねりを効かせたジョークの例としては、下記に紹介される「どうして、ニワトリは道を横切ったの?」を参照のこと。
A3:血まみれのスカンク。

スカンクをペンギン、修道女、タキシードを着た人などに入れ替えても良い。また「血まみれの」を「日焼けした」に変えても可である。
A4:(点字本と間違えて)おろし金を読もうとしている盲目の修道女。

これは、A2のバリエーションだが、いささか品位を欠いている。
このように、様々なパターンがある。
どうして、ニワトリは道を横切ったの? [編集]
どうして、ニワトリは道を横切ったの?
A:反対側に行くためさ。

これはおそらく、英語でしゃべられるほとんどすべてのジョークの中で最も有名なものだと思われるが、このジョークは、「ジョークにあらざるジョーク」(Non-joke) である。というのも、このジョークのジョークとしての価値は、これの面白おかしさが、「それ以外はないだろう」という事実そのものから、そこはかとなくにじみ出てくるものだからである。付け加えれば、このジョークはこのQ&Aの語り方だけで用いられ、変なバリエーションやパロディの類はない。
Q:どうして、タキオンは道を横切ったの?
A:反対側にあったから。

Q:どうして、ニワトリはメビウスの輪を横切ったの?
A:同じ側にいくためさ。

Q:どうして、ニワトリはテキサスの道路を横切ったの?
A:アルマジロのマネをしてさ。

Q:なぜ恐竜は道を横切ったの?
A:ニワトリがこっち側にこないからさ。

エレファント・ジョーク [編集]
「どうして、象は~したの?」という形のなぞかけに対して、到底不可能な答えを返す。
Q:どうして、象は道を横切ったの?
A:ニワトリとホッチキスでとめられていたから。

Q1:象が冷蔵庫にいるかどうかどうやったら分かるの?
A1:ピーナッツバターに足跡がついてれば分かる。

Q2:どうすれば、象が二匹冷蔵庫に居たかわかるの?
A2-1:ピーナッツバターに足跡がふたつついてれば分かる。
A2-2:ドアがしまらないからわかる。

Q1:どうすれば、象をイチゴ畑にかくせるの?
A1:足の爪を赤く塗るのよ。
Q2:うまくいくかしら?
A2:そもそもあなた、イチゴ畑で象なんかみたことある?

Q1:象を冷蔵庫に入れるにはどうすれば良い?
A1:ドアを開け、象を入れ、ドアを閉める。
Q2:では、キリンを冷蔵庫に入れるには?
A2:ドアを開け、象を出し、キリンを入れて、ドアを閉める。
Q3:百獣の王ライオンが会議を招集した。欠席したのは?
A3:キリン。あなたが冷蔵庫に入れっぱなしにしたから。
Q4:大変!二人の探検家がワニの住む沼を渡ろうとしているわ!
A4:大丈夫。ワニは会議中だから。

ダーティー・ジョーク

「ダーティー・ジョーク」とは、性的なタブーを扱った下品なジョークである。ダーティー・ジョークのターゲットとなるのは性差別主義者であることが多い。他のカテゴリーにおいても「ダーティー」なジョークは多い。またダーティ・ジョークの効果は、更なるタブーの追加に(例えばネタとして修道女を登場させるなど)よって、より強められる。
Two nuns are in the bath. One says, “Where’s the soap?” The other says, “Yes, it does.” (二人の修道女がお風呂に入っていた。一人が「石鹸は……?」と聞くと、もう一人が答えた。「ええ、イイわよ☆」)

このジョークについてあえて解説すれば、これは性的なタブー(修道女の性生活)についてのジョークであるのと同時に、シャレ(最初の修道女の “where’s” という言葉を、二人目が “wears” と聞き間違えた)の要素も含んでいる。
その他にも、聞き手が想像を逞しくしているような性的な内容が全く含まれていないという、不完全燃焼のようなタイプのものもある。
There was an old farmer who sat on a rick/Laughing and waving his big hairy fist. (干し草の山に年老いた農夫が座っていた。ニヤニヤしながらデカくて毛深い、拳を揺すっていた。)

このジョークのミソは、後の文節の最後の単語 “fist” が、前の文節の最後の単語 “rick” と韻を踏んでいると期待させ、実は違うというところであり、このタイプのジョークではしばしば、 “fist” という前に一呼吸置くのが常套手段である。 “rick” と韻を踏む性的な単語とは、当然 “dick” (男性器)を連想させる。
ビョーキなジョーク(シック・ジョーク) [編集]
ジョークのサブジャンルの中には、世の中のタブーに逆らったり、そのなかで取り上げているトピックスについて残酷な攻撃性を露わにしていて、それでもなんとか恐怖心を掻きたてる寸前で、ユーモアを交えて、なんとか面白おかしさを漂わせているものがある。
ヴォードヴィルのネタにもされることの多い、上流階級の人たちを茶化したものもこの類のジョークの典型的なものである。
シック・ジョーク(sick joke)という呼び方は、1958年10月9日のニューヨークタイムズでのフットボールについてのコラムが初出と思われる。それは “those macabre ‘sick jokes’ that appeal to the younger generation are popping up in football quotes.” という文である。
同紙の10月26日の紙面では “How These Joke Cycles Start,” という書き出しで、シック・ジョークというジャンルがすでに広く受け入れられ出していると書かれている。
このコラムニストは下記のような例を挙げている
子「ママ、いつになったらヨーロッパに着くの?」

母「黙って泳ぎなさい」

死んだ赤ん坊ジョーク

1980年代から1990年代にかけて、いわゆる「死んだ赤ん坊ジョーク」が流行した。
他の全てのジョークと同様に、これらは読んだときよりも聞いたときのほうが、より面白いものである。なお、英語原文でないと何ら面白くないので注意を要する。
Q:どうやって千体の死んだ赤ん坊を電話ボックスに入れる?
A:挽き肉にする

Q:どうやって赤ん坊の死体を浮かせる?
A:ソーダにアイスクリームを二杯入れて、その上に死体を一つ

Q:家を塗装するのに死んだ赤ん坊はどのくらい必要?
A:あんたがどのくらい投げられるかによるね。(訳注:血で塗装するの意味)

小さなジョニーのジョーク

小さなジョニーのジョークは、無垢で純心な少年ジョニーを登場人物とするジョークのこと。小さな子供が大人に答えにくい質問をするという構図がモチーフになっている。ジョニーはしばしば性的な単語を知っていて、その場合は “Dirty Johnny” (おませのジョニー)と呼ばれることもあるが、その他ではとても純心である。

ジョークの中で、ジョニーは世界中に親戚をもっている。Dirty Ernieや、スペイン人のJaimito、ブラジル人のJoãozinho、ロシア人のVovochka、チェコ人のPepíček、イタリア人のPierino、そしてフランス人のTotoなど。
ジョニーがしかめっ面をしているとスミス女史が注意した。「ジョニー、私が小さかった時、お母さんによく言われたもんですよ。そんな見苦しい表情をしていると、ホントにそんな顔になっちゃいますよって。」ジョニーは、彼女を見上げて、思いやりたっぷりにこう答えた。「じゃあ、スミス先生は『そうなる前に注意してもらっていなかった』って文句は言えないんですね」

教師が子供達に自分のワクワクするものを発表しなさいと言った。さてジョニーの番がきて、彼は前に出て黒板に小さな点を打った。「何かしら?」教師は戸惑いながら尋ねた。「ピリオドです」-「えぇと、なるほど、なんでピリオドがワクワクするものなの?」「知らなかったんだけど、今朝姉さんがピリオドを無くしたんだって言ったんだ…そしたらパパが心臓発作を起こして、ママが気絶して、お隣のお兄ちゃんが拳銃自殺したんだ」[3]

エスニックジョーク

エスニックジョークは、特定の集団のもつ民族性(それが本当であれ、あるいは想像上のものであれ)をユーモラスに表現したものに由来する。それらは、隣国あるいは自国内のマイノリティについてのステレオタイプな見解に由来することが多い。例えば、フィンランド人はスウェーデン人とジプシー(ロマ)についてのジョークを好む。
2人の少数派民族系市民が、カモ狩りをしていた。彼らは、狩って狩って、狩りまくったが、1羽のカモも獲れなかった。最後に、一人がこう言った。

「ちくしょう、(俺たちがこのまま狩りを続けるより)イヌを空に投げ上げた方がうまくやるだろうぜ!」

多くのエスニックジョークの中には、カモにされている当のエスニックグループの名前以外はすべてそのままの形で様々な文化圏で語られているジョークというのもある。例えば、ポーランド人についてのアメリカのジョーク、ニューファンドランド人についてのカナダのジョーク、アイルランド人についての英国のジョーク、ポルトガル人についてのブラジルのジョーク、シーク教徒についてのインドのジョークなどがある。

英国の典型的なエスニックジョークでは「イングランド人とアイルランド人とスコットランド人が…」で始まることが多く、どれか一者を他の二者と比較することで三つの内のいずれでもからかい続けることができるように出来ている。

エスニックジョークの中でも非常に特殊なのは、ユダヤ人についてのジョークの場合で、それらはユダヤ人に著しく特化したものになる。また、この種のジョークではユダヤ人社会で用いられるスラングが多く使用されているため、他の多くの言語では理解しがたいことがある。但し、これらのジョークの目的は、ユダヤ人蔑視のためのものではないことを明記しておく。ユダヤ人ジョークは、意外にもユダヤ人の間でも非常に好まれている。

このエスニックジョークと似たようなものに、テキサスA&M大学の学生を茶化したもので、特にテキサス州で流行っているいわゆる農業大学ジョーク(Aggie jokes)のような、大学ジョークというのもある。
年老いたジプシーが町議会に現れてこう言った。「妻が病気を患って、旅を続けることができなくなってしまいました。私達は議事堂をもらえるでしょうか?(公営住宅に住めるでしょうか?)」[4]

サハラ砂漠を彷徨っていたヌビア人が魔法の壷を見つけた。フタを開けると魔神が現れ、三つの願いをかなえてやるという。ちょっと考えて彼は言った。「ひとつ、水をくれ。ふたつ、オレを白くしてくれ。みっつ、オレにまたがってくるヨーロッパ中の白人美女を一山くれ。」
魔神は即刻その願いをかなえてやった。男は、EU本部の女子用水洗便所の便器に生まれ変わった。

Q:5,000人のウクライナ人をいっぺんに殺すにはどうすればよいか?
A:高速道路に、キノコを生えさせればおしまいさ。[5]

Q:今までにあった喧嘩の中で一番血なまぐさいやつは?
A:アイスランド人とカモメが腐った魚を奪い合った喧嘩。

あるユダヤ人商人が臨終の床にあって言った。 「愛する我が妻は居るか。」「ええ、ここに居るわ。」 「愛する息子は居るのか。」「ここに居るよ、父さん。」 「・・・娘は。」「ここに居るわ。お父さん。」 その瞬間、老いた商人はがばりと起きあがって叫んだ。
「なんだって!?それじゃ一体誰が店番をやっているんだ!」

Q:どうすれば、12人のユダヤ人を一台のフォルクスワーゲンに入れることができるか?
A:1ペニー硬貨(日本円で約1円)を後部座席に投げ込めばよい。

Q:ポーランド人の「社会の窓」(ズボンのファスナー)が開いているのはどんなとき??
A:21まで数えなければならないとき。[6]

ユダヤ人同士の会話:
「なぁ、シルベスタイン。どうやったらナイチンゲール(サヨナキドリ)のパテを20セントなんて値段で売れるんだい?他のみんなは1ドルで売っているぜ?なんかごっちゃに(mix)してないか?」
「みんながやっているようにしているだけだよ。ほら、ちゃんと、ナイチンゲールのお肉と馬肉を半々に混ぜている(mix)だろ。」

性差別のジョーク

性差別のジョークは、性差別主義者が唱える思想や発言を装い、彼ら自身を皮肉ったジョークである。
Q:なんでペニスには穴がある?
A:男の脳に酸素を送るためよ!

Q:なぜヘレン・ケラーは運転ができないのか?
A:女だからさ!

Q:夫婦にとってギブ・アンド・テイクの関係とは?
A:妻が夫に与え、妻が夫から取り上げる。

Q:女性が運転する自動車が事故を起こした。だれのせいだ?
A-1:その女のせい。キッチンの外でいったい何をしてたんだ、そいつは?
A-2:キッチンの中で運転した彼女のせい。

Q:女に腕時計をはめるには?
A:不可能。っていうか、キッチンの置き時計で十分だし。

ブロンド・ジョーク
ブロンド・ジョークは、金髪(ブロンドヘア)を持つあまり賢くない女性についてのジョークである(これを逆手に取ったのが映画『キューティ・ブロンド』シリーズである)。差別的であると非難されることもあるが、ユーモアとして受け取られることが多い。伝統的なエスニックジョークから進化したものであるとも言える。
Q:ブロンド女の耳に息を吹きかけることをなんて言う?
A:充電。

Q:賢いブロンドと幽霊の共通点は?
A:話は良く聞くけど、見たことはない。

Q:月曜の朝にブロンドを笑わせるにはどうすればいい?
A:日曜の夜にジョークを聞かせる。

Q:ブロンド女を数時間遊ばせておく方法は?
A:両面に「裏を見ろ」と書いた紙を渡す。

Q:黒髪の女の子とブロンドがビルの屋上から飛びおりたら、どちらが先に地面に着く?
A:黒髪の女の子。ブロンドは途中で道に迷うから。

Q:金髪女性が新聞を冷蔵庫に入れるのはナゼ?
A:毎日フレッシュなニュースが読みたいから。

Q:金髪女性がパソコンのキーボードに水をかけるのはナゼ?
A:ネットサーフィンを楽しみたいから。

ブロンド・ジョークはよく知られたジャンルなので、ブロンド・ジョークそれ自身をネタにしたジョークも存在する。
ある男がブロンド・ジョークを言おうとすると、それを聞いていた女が「私もブロンドなのよ!!」と怒り出した。そこで男は言った。「ゆっくり話そう」[7]。

障害者ジョーク

ジョークの中には心身に障害を持つ人(障害者)をネタにしたものもある(ネタにされた張本人が思わず笑ってしまうようなレベルを要求されることは言うまでもない)。この種のジョークは三重苦で有名なヘレン・ケラーを登場人物とする場合が多い。また盲目であることを主題としたジョークの場合は、例えばスティービー・ワンダーなどの著名人を主人公とする場合もある。
Q:ヘレン・ケラーへのおしおきとは?
A:両親が家中の家具を再配置した。[8]

Q:なぜ、誰もヘレン・ケラーの言うことを聞かなかったか?
A:彼女がミトンを着用していたから。

Q:おろし金の上を素手でなでた後にヘレン・ケラーが言ったこととは?
A:「こんなにバイオレンスな本は読んだことがないわ!」

Q:(馬鹿にして見下すような顔で)「あなた、精神病院で治療を受けているんですってね?」
A:「そうよ。でも、おかげでやっと、自分と他人の言動の美醜を本当に見極めて、気をつけることが出来るようになったわ。ところで、何で私にでも出来るようになったことがあなたは出来ないの?」

動物についてのジョーク

動物についてのジョークは往々にして寓話的である。森に住んでいる動物たちがまるで人間のような振る舞いをし、それぞれの動物たちには例えば、キツネは賢くクマは強くウサギは生意気ですばしっこい、というように人間にありがちなさまざまな性質が投影されている。
キツネとウサギとクマがトランプ賭博をした。クマが言った。「もし誰かがイカサマなんかしやがったら、そいつの頭をぶっ潰す。その小さな赤い頭をな!」[9]

むく犬ジョーク

むく犬ジョーク(Shaggy joke、Shaggy dog story)には、極端に長い話であること、また、あまりパッとしない上に、有り得ないような落ちがついている。このジョークの本質は、話し手だけでなく聞き手が参加して一緒になってジョークを作り上げていくという点にある。こういう「聞き手参加型」とでもいうべきジョークは、1930年代に初めて見受けられるようになったものだが、史上最初のむく犬ジョークがどれであるかについてはいくつかの説がある。
例:それは「世界で最も毛深い犬を捜しています。」という新聞広告から始まる。

このジョークの語り手は、そこから、極端に誇張された詳細な「最も毛深い犬」の探索にまつわる長い物語を語る(例えば、世界中を飛び回り、深山幽谷に分け入り、険しい山嶺を越え、牙を剥く巨大なトラの襲撃をかいくぐり、などなど。良い語り手ならば、半時間以上このネタを引っ張ることができよう)。

艱難辛苦を乗り越えて、語り手はついにその犬を発見する。なんとか捕獲に成功した「最も毛深い犬」を広告の依頼主に見せると、依頼主は犬をしげしげと観察して一言。

「それほどでもないな」

二頭の牛を飼っている

「君は牛を二頭持っている」で始まるジョークで、特定の政治的、経済的なシステム下での牛あるいはその所有者の取り扱われ方について記述されたもの。このジョークでは、多くの国家、テレビ番組、宗教、政治形態(特に官僚主義、共産主義、資本主義)などが諷刺されることが多い。実例は該当項目参照のこと。
日本国内のジョーク [編集]
国内の出来事や、権力者などのいわゆる『強者』の立場の者を揶揄した風刺の度合いが強いのが特徴である。
Q:「何で日本国内の公共交通機関の運賃ってこんなに高いの?」
A:「堂々とタダ乗り出来る連中が決めたり認めたりしているからさ!」

Q:「学校のいじめ問題、改善されると思う?」
A:「無理に決まっているだろ。国賊や犯罪者や元犯罪者が国会や教育委員会とかで偉そうに大口叩けるような国なんだぜ!!」

Q1:「日本国内でいちばん温度差の激しい場所を答えなさい」
A1:「永田町とそれ以外の日本全土です」
Q2:「では、あなたの住んでいる場所ではどことどこですか?」
A2:「議員がいる場所すべてとその他の場所です」
Q3:「どうすれば温度差は解消出来ると思いますか?」
A3:「今いる議員連中と支持者全員を国外追放すれば一気に改善されます」[10]

日本と日本人のジョーク

世界各国には、日本と日本人を揶揄したジョークが存在する。
日本を支える3つの党をランキングにすると、3位は民主党、2位は自由民主党。そして1位は……アメリカの与党である。

中華人民共和国で小泉純一郎元総理の顔がプリントされた切手が発行された。しかし切手が封筒に付かないと苦情が殺到した。なぜ切手が封筒に付かないかというと……(糊の塗布された面ではなく、)小泉元総理の顔がプリントされた面に唾をつけているから。

日本がサッカーが弱いのは……自分の所に来たボールにいちいちお辞儀をするからだ。[11]

その他のジョーク

お役所仕事のジョーク(en:Administratium)
ドラマージョーク
グレープジョーク
無人島ジョーク
ノックノック・ジョーク
メタ・ジョーク(en:Meta-joke)
電球ジョーク
ロシアンジョーク(en:Russian joke)
スカンジナビア・ジョーク(en:Ole and Lena)
チャック・ノリス・ファクト
世界で一番笑えるジョーク
アネクドート
エレバン放送
DHMO – ジハイドロジェン・モノオキサイドと呼ばれる高度に化学的で難解で、そして身近な物質に関するジョーク。専門用語や難解な表現を多用するときに生じるパロディ性と警鐘。
ブラックジョーク
ガブロヴォ・ユーモア – ブルガリアで典型的なガブロヴォに関するジョーク
シックジョーク
数学的なジョーク

ジョーク 脚注


^ 訳注:ブッシュ大統領の展開した政治的キャンペーンのひとつに「落ちこぼれを残すな」という教育問題に関するキャンペーンがあり、それにひっかけたジョークである。
^ 高畑昭男・産経新聞編集委員兼論説委員が毎日新聞在籍時代に考案したという。政経倶楽部第47回例会 会員レポート
^ 訳注:英語のperiodには、月経の意味もある。
^ 訳注:「council house」は、英語では公営住宅を、米語では会議場を意味する。
^ 訳注:キノコ、つまりマッシュルームは、原爆のきのこ雲の暗示だが、スラブ系の人たちの間では野生のキノコをとって食べるのが周知の文化的習慣になっていることに引っ掛けてある。en:Mushroom picking in Slavic cultureを参照のこと。
^ 訳注:両手両足の指の数「+1」で21
^ 考え落ち。「私もブロンドなのよ!!」という女の台詞を「私もブロンドで頭が弱いから、ブロンドジョークを言われても理解できないわ」の意味だと解釈した為、「(ブロンドの君でも分かるように)ゆっくり話そう」と返答した。
^ 全盲の人は家の中の、どの方向に何歩歩いたところに何があるかを全部記憶し(メンタルマップ)、それに基づいて行動しているので、これを変えられると何も出来なくなってしまう。
^ 訳注:キツネの毛の色は赤で表現されることが多い。
^ 永田町は日本の国家の中枢であり国会議事堂がある。地方の場合も同様であるが、組織票で当選した者ばかりである。
^ 2006年FIFAサッカーワールドカップの結果が散々だった日本を、日本人の礼儀正しさを織り交ぜて皮肉ったジョーク。

一発ギャグ

一発ギャグ

一発ギャグ(いっぱつギャグ)とは、芸のひとつで、短時間内の言動や仕草により見る人の笑いを誘うもの。

一発ギャグ 概要

主にお笑い芸人が行う。

数秒から十数秒という短い時間における発言(内容および口調)や動作の奇怪さでボケるもの、自分以外の奇怪な人物が近くにいる・もしくは奇怪な状況に自分が置かれていると設定してこれに突っ込んだりさらにボケるもの、ダジャレ、モノマネの変種など多岐に渡る。

作成手段によって分類した場合、披露者が事前に用意したいわゆる「持ちネタ」とアドリブによってその場で作るものの二種に分かれる。笑いにつながらない(ウケない)こともままあるが、作成・披露が比較的手軽なため芸人たちは頻繁に用い、また披露の機会を与えられる(=「振られる」)。

一発ギャグの得意な芸人はしばしばそのギャグをもって一般に認知されはじめ、また時に一発ギャグがもとで人気が急上昇する芸人もある(=ブレイクする)ため、印象を左右する意味で芸人にとって一発ギャグの存在意義は非常に大きい。

ギャグと一発ギャグの関係

一発ギャグは「ギャグ」のなかでも、より瞬間的ならびに爆発的な笑いの喚起を狙うものである。深い要素を練り込み時間差でじわじわと笑わせるようなものは少ない。(思い出し笑いを除く)

関西地方での「ギャグ」という言葉の解釈は、関東地方(日本標準)とは少々意味合いが違ってくる。関西地方では「一発ギャグ」のことを「ギャグ」と呼び、関東(日本標準)における「ネタ」のことを「ギャグ」と表現する。

この差異について、長らく関西地方の人々は気がつかない、もしくは戸惑いつつ受容できずにいたが、現在では関西出身の芸人および一般人は、関東つまりは全国進出の際は、各自が言葉の置換をすることで補っている。

代表的な例としては、現代の一発ギャグの名手として知られ、関西地方出身であるFUJIWARAの原西孝幸のキャッチコピーは、「ギャグを一兆個持っている」であるが、この言葉を関西地方文化圏の人間は素直に理解できるが、関東地方(日本標準)の理解からは『え?一兆個の”一発ギャグ”を持っている、じゃないの?』となる。[1]

一発ギャグで有名な人物

原西孝幸(FUJIWARA)
ワッキー(ペナルティ)
岡田圭右(ますだおかだ)
日村勇紀(バナナマン)
塚地武雅(ドランクドラゴン)
八木真澄(サバンナ)
熊谷岳大(ガリットチュウ)
金成公信(ハローバイバイ)
渡辺あつむ(ジャリズム)
ちゅうえい(流れ星)
多田健二(COWCOW)
大地洋輔(ダイノジ)
ハブ(Bコース)
阿部浩貴(アップダウン)
大川知英(ニブンノゴ!)
レイザーラモンHG(レイザーラモン)
春日俊彰(オードリー)
鈴木Q太郎(ハイキングウォーキング)
猫ひろし
あべこうじ
狩野英孝
小島よしお
エド・はるみ
山崎邦正
村越周司
村上ショージ

一発ギャグ 脚注

^ 明石家さんまが原西氏に対して発言した「原西、お前のギャグはホンマに流行らんなぁ」という言葉も、関東地方(日本標準)の解釈では「お前の一発ギャグは」となる。

地口

地口

地口(じぐち)は、駄洒落の一種と見なすことができる言葉遊びである。発音が似た単語を用いるため、駄洒落よりも創造性に富み、作成するのも比較的容易であり、また、形態も多様化している。

語呂合わせと同様に扱われるが、例えば円周率のπを「産医師異国に向こう」と憶えるような側面はこの地口にはなく、意味する範囲は語呂合わせより狭い。

落語においてもくすぐりとしてしばしば使われる。話の終わりを地口で締めるのを地口落ちという。これは、話の最後の方で登場人物が何か言った言葉にだじゃれを返して終わるものである。

どんな話にもつなげられる利便性があるが、反面安易であって取って付けたような終わり方になりやすいため、落ちの種類としては低いものと見なされる。

東京の稲荷神社では初午の縁日に、行灯に地口とそれに合わせた絵を描いた地口行灯を街頭に飾る風習がある。
また、近年では静岡県三島市でも同時期に商店街(三島大通り商店街、静岡県道51号三島停車場線等)に地口行灯が飾られるが、こちらは地口のみならず川柳の書かれた行灯も存在する(詳細は三島宿地口行灯の項を参照されたい)。


地口の例

浅草伝法院通りの地口行灯
千葉県香取市佐原船戸区の地口行灯
有名な文句をもじったもの。
「舌切り雀」をもじって、「着たきり娘」
「いずくも同じ秋の夕暮れ」をもじって「水汲む親父秋の夕暮れ」
「お前百までわしゃ九十九まで」をもじって「お前掃くまでわしゃ屑熊手」
「しづ心無く花の散るらむ」をもじって「しづ心無く髪の散るらむ」
「沖の暗いのに白帆が見える」をもじって「年の若いのに白髪が見える」
韻を踏むことによってリズムをつけるだけで、特に意味のないもの。
美味かった(馬勝った)、牛負けた
美味しかった(大石勝った)、吉良負けた
驚き桃の木山椒(さんしょ)の木
おっかさんの落下傘
いないないばあさん
結構毛だらけ猫灰だらけ、けつのまわりは糞だらけ→映画「男はつらいよ」の寅さんの的屋のセリフ(啖呵売)で有名。
何か用か(七日八日)九日十日
言わぬが花の吉野山
見上げたもんだよ屋根屋のふんどし
I’m sorry ヒゲソリー、髭を剃るならカミソリー
何のこっちゃ、抹茶に紅茶
草加、越谷、千住の先よ
願ったり叶ったり、晴れたり曇ったり
あたりき車力→「あたりき」とは「当たり前」のぞんざい語。さらに後ろに以下のように続けたりもする。
あたりき車力、車引き
あたりき車力、けつの穴馬力
あたりき車力、洗濯機
あたりき車力、洗面器
あたりき車力のこんこんちき
掛詞の技法を使い、後に意味のない言葉をつなげたもの。
すみま千円(「すみません」+「千円」)
あたり前田のクラッカー(「当たり前だ」+「前田のクラッカー」)
そうはいかのキンタマ(「そうは行かない」+「烏賊の金玉」)
その手は桑名の焼き蛤(「その手は喰わない」+「桑名の(名物の)焼き蛤」)
恐れ入谷の鬼子母神(「恐れ入りました」+「入谷の鬼子母神」)
びっくり下谷の広徳寺(「びっくりした」+「下谷の広徳寺」)(ただし、広徳寺は現在下谷から練馬区桜台に移転している)
嘘を築地の御門跡(「うそをつく」+「築地門跡 」(「築地の御門跡」は築地本願寺のこと)
志やれの内のお祖師様 (「洒落る」+「妙法寺」)(東京都杉並区堀ノ内にある寺院で「お祖師様」で知られる。江戸時代より厄除けで知られていた)
いやじゃ有馬の水天宮(「いやじゃありませんか」+「有馬の水天宮」(江戸の水天宮は久留米藩主有馬家の藩邸内にあった)
どうぞかなえて暮の鐘(「どうぞかなえてくれ」+「暮の鐘」)
申し訳有馬温泉(「申し訳ありません」+「有馬温泉」)
田へしたもんだ蛙のしょんべん (皮肉として、大したもんだ、蛙のしょんべん程度の価値だ)

オヤジギャグ

オヤジギャグ

オヤジギャグ(親父ギャグ)とは、主に中高年層の男性が頻繁に使う、駄洒落や地口の要素をふんだんに含んだ安直なギャグのことである。

1980年代までは一般によく使われ、あのねのねによって「赤とんぼの唄」、「魚屋のおっさんの唄」をはじめ数々のコミックソングとしてヒットするなど肯定的に受け取られていたが、近年そうした事情を知らない世代の思春期以上のギャグに辟易した若年層によって否定的なニュアンスで使われるようになった。

1990年前半、大阪の府立高校の生徒らが使い始めた[要出典]。これは、団塊の世代が中年となる時期と重なるが、それ以前から似たような内容のギャグは存在している。

中高年男性の増加によりオヤジギャグを聞く機会が増えたこともあるが、その受け手である若者(1980年代半ばの若者は新人類と呼ばれている)との価値観の相違から、「中年男性のギャグはつまらない」という考え方が増え、そういったギャグを総称して「オヤジギャグ」と呼称するようになったと考えられている。

オヤジギャグ 傾向

オヤジギャグは、単純でわかりやすく、安直なギャグであればあまりにも安直であればあるほど、意味がわかるのに笑えないというジレンマが聞き手に苦痛を与える場合がある。

思春期以前の特に男児はオヤジギャグを過剰なまでに好む傾向がある。つまらないギャグをオヤジギャグとくくり、嫌悪する傾向はオリジナリティのなさや安直さを嫌う若者に顕著で、特に10歳代から20歳代前半の若者はオヤジギャグに対して拒否反応を示すこともある。

特に嫌がられる特徴としては、
安直である
同じギャグを何度も言う
下世話である
の三点が最も指摘される。

このうち、3の場合は倫理上問題のある場合があるが、1、2についてはそういったギャグが通用しなくなった時代を嘆く声もある。

もっとも、発する本人もその多くはくだらないことを言うことで親密度を増そうとの意図を持っての行動であり、ギャグ自体が面白くないことは自覚していることも少なくない。

だが、思春期以上の若年層は、ギャグがただ潤滑油としてのギャグであるだけでは満足せず、その内容によって笑えることまでを期待している場合が多い。そのような若者にオヤジギャグを連発しても、ギャグの効果に対する期待のズレからかえって溝を深める結果に終わる。


話し手の人柄さえ認められていれば、多くの場合は好意的に迎えられるが、度を越したオヤジギャグは反感を買うこともある。話し手の思う許容範囲と聞き手の許容範囲は多くの場合食い違っており、話し手がまだ大丈夫だ、と思っていても聞き手はうんざりしていることもあるからだ。

また、オヤジギャグを言うおやじは概して夫婦仲が良いという傾向も見られる[要出典]。実は、オヤジギャグの源泉はおやじの家庭にあり、主におやじがその妻に対して発しているジョークがすなわち、オヤジギャグのルーツであったりする。

そのギャグを聞いた妻は(夫婦仲がいいので)コロコロとよく笑ったりするため、「これはウケた!」とか「オレのギャグもまんざらじゃあない!」などという誤解が生じ、オヤジギャグにさらに拍車がかかってしまう。そのため、おやじはそのギャグがたとえ会社では「ウケ」なかったとしても、家庭に戻るとそれを聞いて笑ってくれる妻がいるがゆえに、決してへこたれることなく、恒久的に自信満々でオヤジギャグを言い放ち続けることが可能となってしまう。

オヤジギャグ 関連調査

2005年1月3日付の朝日新聞によると、日本人の76%がオヤジギャグに寛容な態度を見せている。

代表的なオヤジギャグ

「なに、切痔になったんやて? そら、ひさんや大黒堂」
バッタがトイレで踏ん張った
さいならっきょ
こんばん脇毛
ありがとうがらし
すみま扇風機
こんにちわんこ蕎麦
布団が吹っ飛んだ
そんな洒落、いいなシャレ
今年の残暑はすごいざんしょ
アルミ缶の上にあるみかん
ただいマイトネリウムの元素記号はMt!
おかえリチウムの元素記号はLi!
(椅子に座るときなど)「よっこいしょ ういち」(横井庄一とのダジャレ)
(食事を終えた後に)「美味しかったー(大石勝った)!吉良負けたー!」(忠臣蔵を絡めた駄洒落)
(親戚の太った子どもを見た時など)「将来はお相撲さんだなこりゃ!」
(また、子どもが塩辛などのつまみ系の物を食べている時)「この子は将来大酒のみになるぞ!」
(そんなことはありえないの意)「そんなのタブランだ。」(田淵のランニングホームラン)
(遠足の集合時間に教師が)「みんないるか?……いない人、手を挙げて!」
大袈裟な桁を使う 例:「はい!千円お預かりでお釣り八百万円!」(関西地方で多くみられる)
何でも「夜の」を付ける 例:「趣味は野球です」「夜の野球の方はどうだい? ホームラン王かい?」(セクハラでもある)
(羊羹を食べる前に)「これどうやって食べるか知ってる?よう噛んで食べるんやで!」
(これらのギャグが受けなかった場合に)「違うか!」(受ける受けないとは無関係に、ギャグの結びとして使われる場合も多い)

シチュエーション・コメディ

シチュエーション・コメディ

シチュエーション・コメディ(situation comedy)はコメディのジャンルのひとつ。

そもそもは、「スラップスティック」の対義語として使われ、ストーリー性の強い長編コメディを指す。シットコム(sitcom)の語源でもあるが、通常、「シットコム」と使う場合は、「シチュエーションコメディ」の中の特定の傾向を持つ作品を指すことが多い。


シチュエーション・コメディ シットコムの特徴

一般的に、「シットコム」(sitcom)という言い方をする場合、狭義においては、概ね、以下の要素を持つ、ラジオ、もしくはテレビ番組を指す。

連続ものだが原則として1話完結で、回をまたがる物語のつながりや進展は希薄である。

主要な登場人物はほぼ一定。メンバーがたまに変化したり、ゲストが登場したりすることはある。
主要な舞台が固定されている。

このような設定のもとで、毎回事件が起きるなどして生じるコミカルな状況が描かれる。

このスタイルのコメディは、イギリスにおいてラジオドラマの一ジャンルとして普及していたが、現在ではテレビドラマとして盛んに作られている。世界各国で作られているが、特にアメリカでの制作が盛んである。

現在、アメリカのテレビドラマの一大ジャンルとなっている。アメリカのテレビ局ではコメディ番組を集中編成することが主流となっており、たとえば1990年代から2000年代にかけてアメリカのテレビ局NBCは、キャッチコピー「Must See TV」(“観るべし”程度の意)のもと、視聴者が一番多い木曜日の夜にシットコム4作品を編成していた。アメリカでは9月から翌年5月までの期間(スポーツ番組が落ち着く期間)に新作を放送する慣例があり、人気作品は1年間に20数本制作される。

この編成で「シーズン」と呼び、視聴率を中心に考慮し、以降のシーズンが制作されるか決定される。そのため、「最終回」を定められた作品は少ない。

実際のスタジオに観客を入れ、観客の笑い声や拍手を収録し、編集する(画面が切り替わるとオチが映る演出では観客には理解不能なため挿入される場合もある)「ラフトラック」という音響効果技法が多く採用されている。


シチュエーション・コメディ 日本製のシットコム

日本でも、このようなコメディは少なくない。

日本のテレビ創生期の番組については資料が少なく、どの作品が最初のシットコム作品であったのか断定することは難しいのだが、最初期の物としてよく知られた作品には、澤田隆治が演出した『ダイラケのびっくり捕物帖』(大阪テレビ放送、後にABC、1957年-1960年)が存在し、少なくとも1957年には既にシットコムスタイルの番組が日本で存在していたことがうかがえる。

さらにラジオドラマを含めるなら「シットコム」と呼べる作品はもっと古くから存在する(たとえば1954年 – 1965年放送の『お父さんはお人好し』など)。

特に、著名な作品としては、『てなもんや三度笠』『番頭はんと丁稚どん』『頓馬天狗』などが挙げられ、日本では関西で特に人気があるスタイルだった(1話完結なので、厳密にはシットコムではないが『吉本新喜劇』も近いスタイルを持っている)。

しかし、全国的には、スタジオ収録のドラマが主流になったことや、関西制作の番組が全国放送されることが少なくなったため、1970年代中期には、一般的には廃れてしまった。ただし、関西ではその後も脈々と受け継がれ、最近でも『お笑いドクター24時!!』など、同スタイルの番組は作り続けられている。また『大阪ほんわかテレビ』のように、番組のコーナーの一つとして存在することも少なくない。

三谷幸喜が自身の脚本・演出による『HR』(フジテレビ、2002年-2003年)を「日本初の本格的シットコム」との謳い文句で放送したが、小林信彦が『週刊文春』の連載コラム [1]で「日本初の本格的シットコムは1960年代に放映された『スチャラカ社員』である」と物言いをつけた[2]。

『スチャラカ社員』は香川登志緒脚本、澤田隆治演出、朝日放送(ABC)で1961年から1967年まで放送された番組。小林は「当時ハリウッドの演出家が偶然この番組のカット割りを見て、日本にもシットコムのようなものがあるのかと驚いた」というエピソードを紹介し、この番組(『スチャラカ社員』)が「日本初の本格的シットコム」であると主張した。

ただし、前述のように『スチャラカ社員』に先行して『ダイラケのびっくり捕物帖』が存在しており、これらの番組制作に携わった澤田は「同スタイルの番組としてはこちらの方が先」と主張している[要出典]。

シチュエーション・コメディ 脚注

^ 『週刊文春』2003年1月16日号参照。
^ 『花と爆弾 – 人生は五十一から』(小林信彦)参照

スケッチ・コメディー

スケッチ・コメディー

スケッチ・コメディー(Sketch comedy)は、コメディーのジャンルのひとつ。

『スケッチ』は文学作品などで、短編、小品を指す言葉で、転じて、演劇の分野においても、寸劇を指す。すなわち、『スケッチ・コメディー』は笑いを題材にした寸劇のことである。日本では、フランス語で『スケッチ』と同意で使われる『コント』と言う言葉が定着しているため、使われることはあまりない。

テレビにおけるスケッチ・コメディー

構成としては数分間単位の『スケッチ・コメディー』を複数組み合わせてひとつの番組として成り立たせる。ひとつひとつは独立しており番組単位での物語としての整合性はない。基本的に連続性は持たないが、特定のキャラクターが登場するなど、連続性を持つ物もある。

世界各国で制作されており、特に知られている物としては、イギリスの『空飛ぶモンティ・パイソン』や、それから影響を受けたアメリカの『サタデー・ナイト・ライブ』がある。

日本でもザ・ドリフターズの「ドリフ大爆笑」、「オレたちひょうきん族」(「サタデー・ナイト・ライブ」から影響を受けている。)、「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」、「サラリーマンNEO」など、こうした形式の番組は、数多く存在する。

ギャグ漫画

ギャグ漫画

ギャグ漫画(ギャグまんが)は、読者を笑わせるギャグ描写を中心として描かれる日本の漫画のこと。いわゆるコメディ漫画との違いは、現代日本においてコメディはほとんどが健全な笑いのイメージで使われることであり、またギャグは必ずしも笑顔(心の中だけでも)に誘導することは目的としない。

ギャグ漫画 歴史

ポンチ絵と呼ばれてきた明治期から、漫画という語が定着するようになった大正期の半ばから昭和に入って以降、長く漫画とは政治や世相を風刺して笑えるものという位置付けであった。

大人漫画においても子供漫画においても、ギャグのある漫画と断るまでもなく、漫画にとって笑いは不可分な要素であり、笑いのない漫画は存在しなかったのである。

ところが、子供向け漫画において、1960年代の後半頃より笑いの要素をなくした劇画が登場。同時期に赤塚不二夫の『おそ松くん』など少年誌では笑いに特化した漫画が人気を呼ぶようになった。こうして、1960年代後半から1970年代初めにかけて、漫画が笑いの要素のない劇画とギャグ専門のギャグ漫画に分化。ギャグ漫画というジャンルが成立した。

それまでの漫画の主流であり、依然として笑いと不可分でユーモアやナンセンスの要素を強く持った大人漫画は、青少年向けのストーリー漫画とギャグ漫画に食われる形で、1970年に文藝春秋の大人漫画誌『漫画読本』が休刊するなどジャンル自体が衰退していった。

コンピュータゲームのギャグ漫画化

ゲームの解説書や攻略本、及びゲーム雑誌においてコンピュータゲームをギャグ漫画化したものが載せられることがあった。またホビーメーカーと関わりの強い小学館の月刊コロコロコミックや別冊コロコロコミックにおいて、コンピュータゲームを原作としたギャグ漫画が掲載されている。

1990年〜 沢田ユキオ 『スーパーマリオくん』
1996年〜 穴久保幸作 『ポケットモンスター』
1999年〜 後藤英貴 『サルゲッチュ ウキウキ大作戦!』
2003年〜2006年 川野匠 『激闘!エグゼ兄弟ロックメーン』
2004年〜2008年 のむらしんぼ 『ラチェット&クランクガガガ!銀河のがけっぷち伝説』

エニックスは1990年から2006年において自社・他社のゲームを原作としたアンソロジー形式の4コママンガ劇場を発刊していた。4コママンガ劇場を描いていた漫画家がその後系列雑誌でギャグ漫画家として活躍している(柴田亜美の『南国少年パプワくん』や衛藤ヒロユキの『魔法陣グルグル』など)。またエニックスは月刊少年ギャグ王において4コママンガ劇場を描いていた漫画家を多数起用した。その後、エニックス系の雑誌ではギャグを受け入れる下地が出来ることとなり、金田一蓮十郎や木村太彦などの漫画家を輩出したり、くぼたまことなどの他誌で活動していた作家が連載を持ったりした。

不条理ギャグの台頭

不条理ギャグとは、読者にとって不条理で理解しがたい展開が起こるギャグを指す。何でもありなキャラクター、関係ないセリフ、脈絡の無い展開、ツッコミ不在などが使われる。
有名な作品として、
不条理日記(1978年)
コージ苑(1985年、ビッグコミックスピリッツ)
ぼのぼの(1986年、天才くらぶ)
伝染るんです。(1989年、ビッグコミックスピリッツ)
GOLDEN LUCKY(1990年、モーニング)
珍遊記(1990年、週刊少年ジャンプ)
クマのプー太郎(1991年、ビッグコミックスピリッツ)
セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん(1995年、週刊少年ジャンプ)
ジャングルはいつもハレのちグゥ(1996年、月刊少年ガンガン)
課長バカ一代(1996年、ミスターマガジン)
かってに改蔵(1998年、週刊少年サンデー)
ギャグマンガ日和(2000年、月刊少年ジャンプ)
ボボボーボ・ボーボボ、真説ボボボーボ・ボーボボ(2001年、週刊少年ジャンプ)
日常(2006年、月刊少年エース)
などがある。

ギャグ漫画 インターネット

インターネットの普及によって自サイト・漫画投稿サイト・ネタ絵投稿サイト・絵投稿サイト・動画投稿サイトなどでのアマチュアによるギャグ漫画作品の発表が増えている。プロの作品と比べ、2ch原作やパロディー、混沌としたものなどインディーズ的なものが多い。高津カリノ(現在ヤングガンガンに連載)やちょぼらうにょぽみ(現在まんがぱれっとLiteに連載)などのインターネット上でギャグ漫画を公開し人気を博していたアマチュア漫画家が漫画雑誌に連載するようになるケースが増えてきている。

また、出版社の運営するサイトでのギャグ漫画連載が出始めている。例えばガンガンONLINEに連載中の『男子高校生の日常』(山内泰延)や月刊少年シリウスのWeb版に連載中の『魔女っ娘つくねちゃんWEB』(まがりひろあき)などがこれである。

ギャグ漫画 内容

パロディ・ナンセンス・風刺、言葉遊び、あるあるネタ、下ネタ、現実には有り得ない不条理性を提示して笑わせる不条理ギャグなど、様々な笑いのパターンがある。それに加えて、時事性の強いネタ等を扱うことが多いので、時代とともに風化しがちであり、その時代の風俗を知る民俗資料ともなりうる。

絵柄は、写実的なものよりもデフォルメの強いコミカルなものになる傾向があるが、ストーリー漫画同様の絵柄の作品も多い。多くの作品ではストーリー性は薄く、連載作品でもストーリーの連続性はないものが比較的多い。ギャグ漫画においては、ストーリー漫画よりも「定番のパターン」を踏襲しないこと、漫画家自身が過去に存在したギャグとは違う新しいものを創造し続けることに価値が置かれる。

このような作業を長期間に亘って続けることは、精神に多大な負担が掛かることは想像に難くない。このためかギャグ漫画家は、山上たつひこや江口寿史、或いは小林よしのりのように活動の場を他に移したり、デビューからすぐにヒット作を送り出しながら漫画家を続けられなくなる例も多い。

ギャグ漫画家

この節には「独自研究」に基づいた記述が含まれているおそれがあります。これを解消するためにある情報の根拠だけではなく、信頼可能な解釈、評価、分析、総合の根拠となる出典を示してください。このタグは2008年9月に貼り付けられました。

主にギャグ漫画を執筆している漫画家や、代表作にギャグ漫画が含まれる漫画家を生年順に挙げる。

1930年代生
赤塚不二夫[1](1935年 – 2008年)
楳図かずお(1936年 – )
1940年代生
川崎のぼる(1941年 – )
タイガー立石(1941年 – 1998年)
谷岡ヤスジ(1942年 – 1999年)
永井豪(1945年 – )
植田まさし(1947年 – )
みなもと太郎(1947年 – )
山上たつひこ(1947年 – )
土田よしこ(1948年 – )
1950年代生
吉沢やすみ(1950年 – )
吾妻ひでお(1950年 – )
秋本治(1952年 – )
小林よしのり(1953年 – )
沢田ユキオ(1953年 – )
魔夜峰央(1953年 – )
コジロー(1953年-)
いがらしみきお(1955年 – )
鳥山明(1955年 – )
のむらしんぼ(1955年 – )
江口寿史[2](1956年 – )
えんどコイチ(1956年 – )
鴨川つばめ(1957年 – )
高口里純(1957年 – )
高橋留美子(1957年 – )
宮下あきら(1957年 – )
臼井儀人(1958年 – 2009年)
しりあがり寿(1958年 – )
新沢基栄(1958年 – )
とり・みき(1958年 – )
河合じゅんじ(1959年 – )
1960年代生
玉井たけし(1960年 – 2004年)
唐沢なをき(1961年 – )
島本和彦(1961年 – )
御童カズヒコ(1961年 – )
ガモウひろし(1962年 – )
田中圭一(1962年 – )
中川いさみ(1962年 – )
林正之(1963年 – 2010年)
相原コージ(1963年 – )
上野顕太郎[3]((1963年 – )
佐藤正(1963年 – )
トニーたけざき(1963年 – )
吉田戦車[4][3](1963年 – )
にわのまこと(1964年 – )
和田ラヂヲ(1964年 – )
うのせけんいち(1964年 – )
岡田あーみん(1965年 – )
浜岡賢次(1965年 – )
野中英次(1965年 – )
三宅乱丈(1966年 – )
樫本学ヴ(1967年 – )
ひかわ博一(1967年 – )
くぼたまこと(1967年 – )
久米田康治(1967年 – )
北道正幸(1967年 – )
ヤマザキマリ(1967年 – )
あずまきよひこ(1968年 – )
榎本俊二[3](1968年 – )
おおひなたごう[5](1969年 – )
大和田秀樹 (1969年 – )
木多康昭(1969年 – )
漫☆画太郎[6](1969年 – )
1970年代生
田丸浩史(1970年 – )
つの丸(1970年 – )
新井理恵(1971年 – )
かみやたかひろ(1971年 – )
古谷実(1972年 – )
平野耕太(1973年 – )
うすた京介[7](1974年 – )
田辺真由美(1974年 – )
小田扉(1975年 – )
島袋光年(1975年 – )
若杉公徳(1975年 – )
にざかな(にざ 1975年 – 、かな 1978年 – )
増田こうすけ(1976年 – )
澤井啓夫(1977年 – )
大亜門(1977年 – )
あらゐけいいち(1977年 – )
施川ユウキ(1977年 – )
曽山一寿(1978年 – )
前川涼(1978年 – )
津山ちなみ(1979年 – )
大島永遠(1979年 – )
1980年代生
金田一蓮十郎(1980年 – )
大石浩二(1982年 – )
高津カリノ(1982年 – )
中村光(1984年 – )
麻生周一(1985年 – )
桜井のりお(1985年 – )
はんざわかおり(1985年 – )
わじまさとし(1986年 – )
生年不詳
衛藤ヒロユキ
どおくまん
まるいミカ
なにわ小吉
のりつけ雅春
ハグキ
古賀亮一
平本アキラ
ポンセ前田
安永航一郎
南ひろたつ
美川べるの
熊田プウ助
田村信
土塚理弘
ながいけん
中邑みつ[8]
とんだばやしロンゲ[8]
菅原県[8]
見ル野栄司[8]
森みちこ[9]
saxyun

ギャグ漫画 参考資料

石子順造『戦後マンガ史ノート』 紀伊国屋書店、1975年
清水勲『漫画の歴史』 岩波書店、1991年
夏目房之介『手塚治虫はどこにいる』 筑摩書房、1992年
夏目房之介『マンガはなぜ面白いのか』 日本放送出版協会、1997年
夏目房之介『マンガの力 成熟する戦後マンガ』 晶文社、1999年
出典 [編集]

^ 西武ドーム移動支局 赤塚さん追悼の電光メッセージ /東京
^ 山上たつひこ選集を監修・江口寿史 長編ギャグ漫画、魅力全開
^ a b c Yahoo!動画、吉田戦車や榎本俊二などギャグ漫画家4人の座談会などを配信
^ 憂楽帳:夜更けのため息
^ 『読売新聞 都民版』2008年11月4日朝刊
^ 孤高のギャグ漫画家・漫画太郎の20周年DVDがキャンギャル募集
^ 人気ギャグ漫画家・うすた京介に聞く「ピューと吹く!ジャガー」
^ a b c d 【ニコニコ生放送】ギャグ漫画家だらけの大喜利バトル 第二弾
^ 富山ライトレール

ギャグアニメ

ギャグアニメ

ギャグアニメは、笑いを主体として作られているアニメである。視聴者を楽しませることを目的として制作される。

ギャグアニメ 概要

主に2~3本立てで構成、あるいは帯番組型式が中心となっているが『タイムボカンシリーズ』などストーリー型式の30分1話完結のものも多く、近年では『ボボボーボ・ボーボボ』など漫画作品原作のアニメでは連続もの型式(2本立てに分割されていても連続ものの型式になっている)が増えている。

海外では現在もスラップスティック中心のストーリー性が薄く笑いを重視した作品が多く作られているが、日本ではギャグを交えたストーリー重視のコメディものが主流になっている。

ギャグアニメはアニメ黎明時代では2・3頭身のキャラクターがドタバタを繰り広げるスラップスティックものが主流だが、1970年代後半『タイムボカン』のヒットにより、わかりやすいストーリーによる連続ものギャグアニメが確立することに成功した。

1980年代以降、通常の頭身のキャラクターによる笑いを中心とした「コメディアニメ」が多くなってきた。『機動戦士SDガンダム』のような既存のアニメ作品のパロディものや、『きょうふのキョーちゃん』や『サウスパーク』などの過激なギャグが売りの作品もある。

当初、ギャグアニメと言えば萌えとは無縁のものがほとんどだったが、近年では萌えアニメが増加するのに伴って『ナースウィッチ小麦ちゃんマジカルて』や『ぱにぽにだっしゅ!』などのようにギャグと萌えが融合したアニメも増えつつある。
『サザエさん』など当初はギャグアニメとして開始されたアニメ番組が次第にギャグ性が薄まっていきギャグアニメではなくなる例や、『ドラえもん』の劇場版ではギャグ性が皆無になっていることもある。
変わったところでは、日本語吹き替えの際にギャグアニメに変質した『ビーストウォーズ 超生命体トランスフォーマー』のような例がある。

ギャグアニメ 一般的な特徴

ナンセンスなギャグが主体。
奇抜な登場人物が多いこと。
脇役や悪役が本来の主人公より目立っていて、エンディングテーマや挿入歌で彼らのテーマソングが使用される場合もある。
ワンパターンな内容が多く、毎回基本パターンに沿って構成される。
他の映画・ドラマ・漫画・アニメ・CM等パロディが取り入れられている。
本放送当時の流行語を本編に採用していることが多い。
全日帯で放映されている作品は長寿番組になる確率が高い。
リメイクされる作品も比較的多い。

ギャグアニメ 海外の主な作品リスト

日本のギャグアニメについてはCategory:ギャグアニメを参照。ただし、同カテゴリには海外作品も含まれている。
宇宙家族ジェットソン
ウッディー・ウッドペッカー
クマゴロー
原始家族フリントストーン/恐妻天国
サウスパーク
ザ・シンプソンズ
スカイキッドブラック魔王
スポンジ・ボブ
空飛ぶロッキーくん(en:The Rocky and Bullwinkle Show)
タイニー・トゥーンズ
チキチキマシン猛レース
珍犬ハックル
ドボチョン一家の幽霊旅行
トムとジェリー
ドラ猫大将
バッグス・バニー・ショー(ルーニー・テューンズ)(en:The Bugs Bunny Show)
早射ちマック
ビーストウォーズ 超生命体トランスフォーマー
ビーストウォーズメタルス 超生命体トランスフォーマー
超生命体トランスフォーマー ビーストウォーズリターンズ
※原語版ではシリアスであったが、日本語吹き替えの際にギャグアニメに変質した。
フューチュラマ
ポパイ

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