映画のくすり | 笑いヨガには、福来たる!世界は愛と笑いに満ちている!!

こころに効く 泣ける本

1位 アルジャーノンに花束を ダニエルキイスの世界的名作。多くの人が抱える懊悩、自我への疑問、そういう心理の闇に、主人公が限られた時間内に全力を傾けて戦いを挑む姿に、ただただ感動あるのみ!

ダニエル キイス¥ 249
Amazonで詳細を見る by AmaGrea


2位 塩狩峠 三浦綾子作の奥の深い物語です。人間としてのあるべき道を示唆してくれているようです。荒んだ心に静謐な光を与えてくれます。椎名林檎さんもお勧めされています。
三浦 綾子¥ 251
Amazonで詳細を見る by AmaGrea

3位 白い犬とワルツを 淡々とながれていく犬と老人の生活、そして周りの人々。嵐のような、怒涛の、そんな激しい言葉ではなく、胸の奥のほうからじんわりとわきだしてくる、そういう柔らかい気持ちを感じることができます。
テリー ケイ¥ 1,029

Amazonで詳細を見る by AmaGrea


4位 永遠の仔 天童荒太の最高傑作。人間のこころの奥に潜む欲望・葛藤、そして醜さや脆さといった部分をすべて見せつけられます。しかしその一方で、「生きること」の意味を深く考えさせてくれる心を揺さぶられる本。

天童 荒太¥ 251
Amazonで詳細を見る by AmaGrea

5位 鉄道員(ぽっぽや) 浅田次郎の珠玉の短編集。不幸な境遇、環境、関係 の中でも、一筋の光明が見えるんだ!そして、真剣に生きている人には「奇跡」が舞い降りるんだ!と言うことを伝えてくれる小説群です。 
浅田 次郎¥ 186
Amazonで詳細を見る by AmaGrea


6位 ノルウェイの森 村上春樹の代表作。死は 生の対極としてではなく、その一部として存在していることに気づかせてくれる。
村上 春樹¥ 250
Amazonで詳細を見る by AmaGrea


7位 蝉しぐれ 藤沢周平がこころを込めて描く、淡い恋心、青春時代、過酷な運命、親を想う気持ち、人生を切り開く勇気、修行の行為、そういった生きる醍醐味を、手加減なく味あわせてくれる。
藤沢 周平¥ 250
Amazonで詳細を見る by AmaGrea


8位 朗読者 ドイツの深い哀しみの物語。約30年という長い年月をかけた、とても純粋で切ないラブストーリーです。2人の愛の育み方、過去の重罪、それに対するハンナの姿勢、結末に何度も読み返してしまいます。
ベルンハルト シュリンク¥ 230
Amazonで詳細を見る by AmaGrea


9位 センセイの鞄 (文春文庫) 川上弘美の恋愛小説。老センセイと恋に落ちるミチコ・・。何気ない時間を一緒に過ごしていく中で、こころの距離はどんどん近づいてる。ただただ、お互いがいることに感謝できるような間柄の謎。
川上 弘美
Amazonで詳細を見る by AmaGrea


10位 錦繍 宮本輝の大人の恋愛物語。手紙形式で進む名作。おすぎが号泣した。人生だから、色々あるし、人間だから弱い部分も当然ある。でも、その色々に流されて、宿命や運命のせいにして生きるか、それに負けずに、その色々を燃料にして、自分を前進させるか?判断を迫る本。
宮本 輝¥ 251
Amazonで詳細を見る by AmaGrea


11位 秘密        東野圭吾の名作。人間の業や性(サガ)のようなものをうまく描いている。そしてそれらが複雑に絡み合って物語が展開される。複雑怪奇なトリックを生み出すのではなく、人間の思念や欲、愛情などを巧みに絡ませてミステリーが作られていく手法は読んで飽きない。
東野 圭吾¥ 700

Amazonで詳細を見る by AmaGrea


12位 十二番目の天使 失敗して自信を失ってしまった時。漠然とした将来の不安にかられた時。 毎日同じことの繰り返しで、平凡を嘆いているなら。この本を読むことを強くお勧めします。 何が起こるか予想できない人生を、毎日大切に、前向きに楽しんで生きることの大切さを再確認できます。
オグ マンディーノ¥ 250
Amazonで詳細を見る by AmaGrea

13位 火垂るの墓 野坂昭如の自伝的小説。闇の中から立ち現れてはたちまちに消えゆく蛍の灯りに浮かび上がるものは、命というものの根源的な儚さとやるせなさ。厳しさと孤独。そして愛おしさ。決して戦争の悲惨を伝えるだけの作品ではありません。
野坂 昭如¥ 515

Amazonで詳細を見る by AmaGrea


14位 沈黙 遠藤周作の代表作。神とはなにか。クリスチャンの苦悩。学生は必読の書
15位 あたしの一生ーの贈り物 猫ダルシーの一生の贈り物♪アブサン物語もどうぞ
16位 銀河鉄道の夜 宮沢賢治の美しくも哀しい童話。他人のために死んだ者達が列車に乗ってくる
17位 クオ・ワディス ローマ帝国の歴史ロマン。ネロの圧政、幾多の障害の恋愛。大スペクタクル。
18位 蒼穹の昴 浅田次郎の中国近代大河小説。魅力ある登場人物達の生き様に圧倒。
19位 ノラや (中公文庫) 内田百けんの泣けるノラ猫の話。猫好き必読!
20位 MISSING 本田孝好の静かな短編集。吸い込まれるように泣けてきます。このミス10位
21位 きらきらひかる 江國香織の恋愛小説。結婚、友情、恋愛すべてが詰まった江国入門本。
22位 草の花 福永武彦。「人はみな草のごとくその光栄は草の花のごとし」 愛が分る本
23位 アムリタ 吉本ばななの記念的長編小説。心の渇きを癒す幸せを感じる小説。
24位 体の贈り物 「エイズ患者のケアワーカーが見つめる彼らの最後の日々。11の連作小説
25位 夏の庭―The Friends 湯本香樹実の児童文学の名作。死」について知りたいと思った僕と老人の話
26位 光の帝国―常野物語 恩田陸の作短編集。優しさに満ちた壮大なファンタジーの序章。
27位 冷静と情熱のあいだ 恋する全ての人に捧げる恋愛バイブル。純粋で切ない珠玉のラブストーリー
28位 大地の子 山崎豊子の中国を舞台に描く大河小説。時代を描く最高傑作。
29位 父の詫び状 向田邦子の最高傑作、エッセイ。太田光が絶賛!
30位 受け月 (文春文庫) 伊集院静の短編集。切ない描写。耽美なる筆致。感動の直木賞受賞作。
31位 神様のボート 江国香織。母と、その傍らで成長していく娘の遙かな旅の物語・・。
32位 豚の死なない日 全米が大感動!自然と共に生きる人々の喜びと悲しみを描く傑作。
33位 蝶の舌 世界中に涙の嵐を巻き起こした物語。温かい物語と戦争の恐ろしさ、両面
34位 友情 (新潮文庫) 武者小路実篤の名作。恋愛事情は永遠に変わらない。苦悩と葛藤。
35位 ハツカネズミと人間 スタインベックの傑作。労働者たちの生きる希望、切なさ、友情を描く。
36位 深い河 遠藤周作の問題作。愛を求めて、人生の意味を求めてインドへと向かう。。
37位 異人たちとの夏 名手山田太一の新しい小説世界。第一回山本周五郎賞受賞作品。
38位 西の魔女が死んだ 梨木香歩の児童小説。最後の3ページ涙がとまらない・・・
39位 太陽の子 (角川文庫) 灰谷健次郎。戦争の残した傷跡。語らなければならないものとは・・
40位 天国までの百マイル 浅田次郎の短編集。間違いなく泣くための本。巧すぎます。
41位 氷点 三浦綾子の不朽の名作。、「汝の敵を愛せよ」と殺人犯の娘を養女にした・
42位 消えた少年たち 『本の雑誌が選ぶベスト10』総合・2003文庫第1位!
43位 ジェニィ ボールギャリコ!の猫の物語。雪のひとひら (新潮文庫) も泣けます
44位 嗤う伊右衛門 京極夏彦の描く四谷怪談。第二十五回泉鏡花文学賞受賞作。
45位 新しい人よ眼ざめよ 大江健三郎。障害をもつ息子の共生、再生を描く。誠実な魂の小説。
46位 高丘親王航海記 澁澤龍彦の遺作。怪奇と幻想の世界を描ききった読売文学賞受賞作
47位 命 (新潮文庫) 柳美里の自伝的小説。 生きる意味を教えてください-命をめぐる対話
48位 銀河英雄伝説 田中芳樹の壮大な宇宙小説。三国志にはまった人なら楽しめる。善と悪。
49位 蔵 (中公文庫) 宮尾登美子が描く、苦悩と愛憎の軌跡を刻む渾身の長篇。
50位 グリーン・マイル スティーブンキングの大傑作。伏線がラストに終結。涙がとまらない。

泣ける映画

1位 ニューシネマパラダイス  劇場版の方。日本人受けする泣ける映画の定番。

フィリップ・ノワレ¥ 1,087

Amazonで詳細を見る by AmaGrea



2位 ライフイズビューティフル ロベルトベニーニ監督主演の笑って泣ける永遠の泣ける映画。

ロベルト・ベニーニ¥ 986
Amazonで詳細を見る by AmaGrea


3位 ショーシャンクの空に 無実の罪で刑務所へ幽閉された男がラストに見たものは・・
ティム・ロビンス¥ 918

Amazonで詳細を見る by AmaGrea


4位 タイタニック 大スペクタクル恋愛映画。キャメロン監督の執念の一作。

レオナルド・ディカプリオ¥ 2,200

Amazonで詳細を見る by AmaGrea


5位 アルマゲドン 隕石衝突を回避させ人類を救うために宇宙に旅立つ男たち。必見の一作。
ブルース・ウィリス¥ 1,797

Amazonで詳細を見る by AmaGrea


6位 グリーンマイル 苦悩の看守と不思議な力をもつ死刑囚との心の触れ合い。むせび泣き。
トム・ハンクス¥ 1,468
Amazonで詳細を見る by AmaGrea


7位 レオン 孤独な殺し屋と家族を殺された少女の切なく凶暴な純愛。
ジャン・レノ¥ 1,460

Amazonで詳細を見る by AmaGrea

8位 チャンプ 父と子の絆。子供が可愛過ぎる。この子の涙にもらい泣き確実。
ジョン・ボイト¥ 942

Amazonで詳細を見る by AmaGrea


9位 アイアムサム 親子愛。ショーンペンとダコタファニングの演技がすごい。”愛こそすべて”
ショーン・ペン¥ 4,361

Amazonで詳細を見る by AmaGrea


10位 ゴースト 可憐なデミムーアが主演。ゴーストになった恋人・・。最も泣ける恋愛映画。
パトリック・スウェイジ¥ 1,979

Amazonで詳細を見る by AmaGrea

11位 火垂るの墓 野坂昭如原作。戦争の悲惨な兄弟の物語。戦争はいけない。
高畑勲¥ 3,545

Amazonで詳細を見る by AmaGrea

12位 E.T. スピルバーグ監督の代表作。宇宙人と少年の心の交流を感動的に描く。
ウィリアムス(ジョン)¥ 996

Amazonで詳細を見る by AmaGrea

13位 フィールドオブドリームス ケビンコスナーの心温まるファンタジー。野球を通した父と子の絆。
ケビン・コスナー¥ 1,013

Amazonで詳細を見る by AmaGrea

14位 レナードの朝 デニーロとロビンウィリアムスの名演。30年の昏睡から目覚めた男の悲喜。
ロバート・デ・ニーロ¥ 1,162
Amazonで詳細を見る by AmaGrea

15位 リトルダンサー 夢に向かってバレエダンサーを目指す少年の姿が感動的。夢をあきらめない。
ジェイミー・ベル
Amazonで詳細を見る by AmaGrea

16位 私の頭の中の消しゴム 徐々に記憶がなくなっていく妻、見守る夫。その結末は・・。泣ける韓国映画。
チョン・ウソン¥ 1,382

Amazonで詳細を見る by AmaGrea

17位 手紙 殺人を犯した兄。手紙のやり取りから知りうる想い。ラストは号泣です。
山田孝之¥ 3,007

Amazonで詳細を見る by AmaGrea


18位 世界の中心で愛を叫ぶ 片山恭一のベストセラー小説を行定監督が映画化。昭和世代中年男は必見
大沢たかお¥ 340
Amazonで詳細を見る by AmaGrea

19位 シンドラーのリスト ユダヤ人をナチスの虐殺から救った実在の男を描く。スピルバーグの名作。
リーアム・ニーソン
Amazonで詳細を見る by AmaGrea

20位 素晴らしき哉、人生 人生に絶望し自殺しようとした男を救ったものは。生きる希望を描く人間讃歌
ジェームズ・スチュワート¥ 1,403

Amazonで詳細を見る by AmaGrea

21位 フラガール 炭鉱町をハワイアンの街に代えることに奮闘するフラダンサーの成長物語。
松雪泰子¥ 1,745

Amazonで詳細を見る by AmaGrea

22位 グッドウィルハンティング 心を閉ざした天才少年と苦悩する精神科医との友情を描く。オスカー受賞。
マット・デイモン¥ 1,174

Amazonで詳細を見る by AmaGrea

23位 ダンサーインザダーク 目の不自由なシングルマザーの悲劇。救いのない悲しみ。
ビョーク¥ 3,923

Amazonで詳細を見る by AmaGrea

24位 ミリオンダラーベイビー 名トレーナーと女性ボクサーの絆の物語。家族、生と死。善と悪。オスカー受賞
クリント・イーストウッド¥ 4,300

Amazonで詳細を見る by AmaGrea

25位 いま、会いにゆきます 亡くなった妻を想う父と子。癒しのラブファンタジー。中村獅童・竹内結子共演
竹内結子¥ 557
Amazonで詳細を見る by AmaGrea

26位 きみに読む物語 アルツハイマーに冒された女性と彼女を愛する男。愛と奇跡の物語。
ライアン・ゴズリング¥ 1,527

Amazonで詳細を見る by AmaGrea

27位 パーフェクトワールド 脱獄犯と人質の少年、彼らを追う警察署長との交流を描くロードムービー。
クリント・イーストウッド¥ 918

Amazonで詳細を見る by AmaGrea

28位 生きる 黒澤明監督の人間の尊厳を高らかにうたい上げたヒューマンドラマの傑作。
志村喬¥ 3,091

Amazonで詳細を見る by AmaGrea

29位 ALWAYS三丁目の夕日 昭和の懐かしいあの頃が泣ける。郷愁と家族愛、下町。ほのぼの温かい
吉岡秀隆¥ 1,438
Amazonで詳細を見る by AmaGrea

30位 しあわせの隠れ場所    プロのアメフト選手になった黒人とその里親になった白人一家の、実話をもとにした感動の物語です
サンドラ・ブロック¥ 900

Amazonで詳細を見る by AmaGrea

言葉のくすり 寅さん 「続 男はつらいよ」

寅さん 「続 男はつらいよ」の啖呵売のセリフです。

「当たるも八卦当たらぬも八卦、人の運命などというものは誰にもわからない
そこに人生の悩みがあります。
奥様、先ほどよりあなたは顔だけこちらを向いて
足と体が向こうを向いております
ということは、これから用をしに行かなければならないが
私の話が気にかかります、
何故かと言うと、あなたの心に悩みがあるから、ねえ」

みんな、悩みを持ってますね。

渥美清¥ 1,978

Amazonで詳細を見る by AmaGrea

言葉のくすり 渥美清(寅さん)ってどんな人?

渥美清ってどんな人?

本名 田所 康雄
たどころ やすお
別名 寅さん、風天(俳号)
生年月日 1928年3月10日
没年月日 1996年8月4日(満68歳没)
出生地 日本・東京府東京市下谷区
(現:東京都台東区)
職業 俳優、コメディアン
ジャンル 映画・テレビドラマ・舞台
活動期間 1951年 – 1996年
配偶者 あり
家族 父:田所友次郎
母:田所タツ
兄:田所健一郎
主な作品
映画
『拝啓天皇陛下様』
『男はつらいよ』シリーズ(全48作)
『八つ墓村』
『幸福の黄色いハンカチ』
『キネマの天地』他
テレビドラマ
『渥美清の泣いてたまるか』
『男はつらいよ』他
受賞
・1988年 紫綬褒章
・1996年 国民栄誉賞

小林 信彦

大下 英治¥ 800

Amazonで詳細を見る by AmaGrea

堀切 直人¥ 1,995

Amazonで詳細を見る by AmaGrea



渥美 清(あつみ きよし、1928年3月10日 – 1996年8月4日)は、日本の俳優。本名、田所 康雄(たどころ やすお)。愛称は、寅さん、風天(俳号)

渥美清 来歴・人物

渥美清の生涯

1928年(昭和3年)3月10日に、東京府東京市下谷区車坂町(現・東京都台東区上野七丁目)で地方新聞の新聞記者をしていた父友次郎と、元小学校教諭で内職の封筒貼りをする母タツとの間に次男として生まれる。兄に健一郎がいる。

1934年11月、上野の板橋尋常小学校に入学。1936年、一家で板橋区志村清水町に転居。それに伴い、志村第一尋常小学校へ転入。小学生時代はいわゆる欠食児童であったという。加えて、病弱で小児腎臓炎、小児関節炎、膀胱カタル等の様々な病を患っていた。その為学校は欠席がちで、3年次と4年次では長期病欠であった。

欠席中は、日がな一日ラジオに耳を傾け徳川夢声や落語を聴いて過ごし、覚えた落語を学校で披露すると大変な評判だったという。
1940年に板橋城山高等小学校に入学。第二次世界大戦中の1942年に巣鴨中学校に入学するが、学徒動員で板橋の軍需工場へ駆り出される。1945年に同校を卒業するも、3月10日の東京大空襲で自宅が被災し焼け出される。偶然にもこの日は渥美の17歳の誕生日であった。

卒業後は工員として働きながら、一時期、担ぎ屋やテキ屋の手伝いもしていた(親友の谷幹一に、かつて自分は霊岸島桝屋一家に身を寄せていた、と語った事がある)。この幼少期に培った知識が後の「男はつらいよ」シリーズの寅次郎のスタイルを産むきっかけになったといえる。

1946年には新派の軽演劇の幕引きになり、大宮市日活館「阿部定一代記」でのチョイ役で舞台初出演。

中央大学経済学部入学後、船乗りを志して退学したが母親に猛反対されたため断念。

知り合いの伝手を頼って旅回りの演劇一座に入り喜劇俳優の道を歩むことになった。

なお、当初の芸名は「渥美悦郎」であったが、無名時代の極初期に参加した公演で、座長が観客に向けて配役紹介を行う際になぜか「悦郎」を忘れてしまい、「清」ととっさに言ったものをそのまま使用したといわれている。”渥美”は愛知県の渥美半島から採ったとされる。

1951年、東京都台東区浅草のストリップ劇場(百万弗劇場)の専属コメディアンとなる。
1953年には、フランス座へ移籍。この頃のフランス座は、長門勇、東八郎、関敬六など後に第一線で活躍するコメディアンたちが在籍し、コント作家として井上ひさしが出入りしていた。
1954年、肺結核で右肺を摘出しサナトリウムで約2年間の療養生活を送る。このサナトリウムでの療養体験が後の人生観に多大な影響を与えたと言われている。また、復帰後すぐに今度は胃腸を患い中野の立正佼成会病院に1年近く入院する。再復帰後は酒や煙草、コーヒーさえも一切やらなくなり過剰な程の摂生に努めた。

1956年にテレビデビュー、1958年に『おトラさん大繁盛』で映画にデビュー。
1959年にはストリップ小屋時代からの盟友である谷幹一、関敬六とスリーポケッツを結成。しかし、数ヵ月後には脱退している。
1961年から1966年までNHKで放映された『夢であいましょう』、『若い季節』に出演。コメディアン・渥美清の名を全国区にした。

1962年公開の映画『あいつばかりが何故もてる』にて映画初主演を務める。同年、フジテレビ連続ドラマ『大番』でのギューちゃん役がうける。
同年、ヤクザ(フーテン)役で出演した『おったまげ人魚物語』のロケにおいて、海に飛び込むシーンでは右肺を摘出していたため海に飛び込めず、唯一代役を立てたシーンとも言われている。

当時、複数の映画が同じ地域で撮影を行っており、この時の撮影現場では、映画『切腹』(仲代達矢、岩下志麻、三国連太郎、丹波哲郎)の撮影現場の宿に泊まり、同宿した多くの俳優や監督と接することとなる。

1963年の野村芳太郎監督の映画『拝啓天皇陛下様』で愛すべき無垢な男を演じ、俳優としての名声を確立する。この作品がフジテレビの関係者の評判を得て「男はつらいよ」の構想が練られた。

1965年公開の、羽仁進監督の『ブワナ・トシの歌』ではアフリカ各地で4ヶ月間に及ぶ長期ロケを敢行。この撮影以降、アフリカの魅力に取り付かれプライベート旅行で何度も訪れるようになる。この時期の主演作品としては、TBSのテレビドラマ『渥美清の泣いてたまるか』(1966年)や映画『喜劇列車シリーズ』(喜劇急行列車、喜劇団体列車、喜劇初詣列車)(1967年~1968年)なども有名である。

1968年、フジテレビにて、テレビドラマ『男はつらいよ』の放送開始。放送期間は1968年10月3日から1969年3月27日までの半年間。脚本は山田洋次と森崎東が担当した。最終回では「ハブに噛まれて寅さんが死ぬ」と言うストーリーに抗議が殺到した。
1969年に「罪滅ぼしの意味も含めて」、松竹で映画を製作。これが予想に反し大ヒットとなり、以降シリーズ化となって製作の始まった山田洋次監督の映画『男はつらいよ』シリーズにおいて、主演の車寅次郎(フーテンの寅)役を27年間48作に渡って演じ続ける事になる。この映画のシリーズは、国民的映画として日本中の多くの人たちに親しまれた。映画のシリーズでは最多記録の作品としてギネスブックにも載るなどの記録を成し遂げた。

1972年、渥美プロを設立し、松竹と共同で映画『あゝ声なき友』を自身主演で製作公開する。
1975年、松竹80周年記念として制作された映画『友情』に出演。

1977年にはテレビ朝日製作の土曜ワイド劇場『田舎刑事 時間(とき)よとまれ』にて久しぶりにテレビドラマの主演を務める。同作品は現在も続く人気番組土曜ワイド劇場の記念すべき第1回作品であると同時に、第32回文化庁芸術祭のテレビ部門ドラマ部の優秀作品にも選出されている。この成功を受けて同作品はシリーズ化され1978年に『田舎刑事 旅路の果て』が、1979年には『田舎刑事 まぼろしの特攻隊』がいずれも渥美主演で製作放送されている。

映画『男はつらいよ』シリーズの大成功以降は「渥美清」=「寅さん」の図式が固まってしまう。当初はイメージの固定を避けるために積極的に他作品に出演していたが、どの作品も映画『男はつらいよ』シリーズ程の成功は収める事が出来なかった。特に1977年『八つ墓村』が松竹始まって以来のヒットとなったが、シリーズ化権を東宝に抑えられていたため1本きりとなったことは大きな岐路となる。

1979年(昭和54年)4月14日にNHKで放映されたテレビドラマ『幾山河は越えたれど~昭和のこころ 古賀政男~』では作曲家、古賀政男の生涯を鮮烈に演じ高い評価を得るが、新たな役柄の幅を広げるにはいたらなかった。また、この時期、今村昌平監督が「復讐するは我にあり」の主役にオファーしたが、「寅さんのイメージを裏切りたくない」との理由で断っている。

1980年代以降になると、当時の松竹の思惑や渥美自身も他作品への出演に消極的になっていた事もあって、『男はつらいよ』シリーズ以外の主演は無くなっていく。1988年(昭和63年)、紫綬褒章受章。
その後は、主演以外での参加も次第に減っていき、1993年に公開された映画『学校』が『男はつらいよ』シリーズ以外の作品への最後の出演作品となった、遺作は亡くなる直前まで出演した48作目「男はつらいよ 寅次郎紅の花」。

後年は、松竹の看板としてかなりの無理をしての仕事であった。『男はつらいよ』42作目以降は、病気になった渥美に配慮して、立って演じるシーンは少なくされた。晩年は、立っていることもままならず、撮影の合間は寅さんのトランクを椅子代わりにして座っていることが多かった。44作目のころ「スタッフに挨拶されて、それに笑顔で答えることさえ辛いんです。スタッフや見物の方への挨拶を省略していただきたい」と山田洋次に語っている。

ところがこの事情を知らない映画撮影の見物客は、渥美に声をかけてもまったく反応してもらえなかったことから「愛想が悪い」との理由で渥美を批判することもあったという。体調が悪くなった42作から甥の満男を主役にしたサブストーリーが作られ、年2本作っていたシリーズを1本に減らし、満男の出番を増やして寅次郎の出番を最小限に減らしている。

また体調が悪化してからの作品を見ると46作では坂を上るのがきつく(実際に急な坂ではあるが)、47作では歌声が枯れ、第48作では座ったままほとんど動かなくなるなど痛々しい演技である。49作目は秋からクランクインが予定されていた。田中裕子がマドンナ役の予定だった。

病気については1991年に肝臓癌が見つかり、1994年には肺に転移しているのがわかった。47作からは主治医からも出演は不可能だと言われていたが何とか出演。48作に出演できたのは奇跡に近いとのことである。
1996年7月に体調を崩して同月末に手術を受けたものの、癌の転移が広がり手遅れの状態だった。山田監督の弔辞によれば、病院で癌の手術が手遅れの状態だった後、病室で震えていたとの事である。また同年6月に49作の映画化の件で話し合い、肉を食べ撮影に意欲を燃やしていたとのことである。

1996年(平成8年)8月4日、転移性肺癌のため東京都文京区の順天堂大学医学部附属順天堂医院にてこの世を去る。68歳没。「俺のやせ細った死に顔を他人に見せたくない。骨にしてから世間に知らせてほしい」という渥美の遺言により、家族だけで密葬を行い、遺体は東京都荒川区内の火葬場で荼毘に付された。訃報は3日後の1996年8月7日に松竹から公表された。

そして8月13日には松竹大船撮影所で「寅さんのお別れの会」が開かれ、山田洋次が
5年前に渥美さんの病気を知り、予断を許さないのは知っていました。体の衰えが目立ち始めて、小島の急な坂を登るときは、とてもつらそうだった。この時、この陽気な男が、映画から手を引く日も近いと思っていました。そろそろ解放してあげたい、と思いながら、もう一作だけ、もう一作だけ、もう一作何とかと思って48作も撮ってきました。医師から、正月遺作となった映画に出演できたのは、奇跡といわれました。ああ、悪いことをしました。後悔しています。つらい思いをさせてすいませんでした。7月に入院して、肺の手術をした後、経過が思わしくなくて、ベッドに起き上がることも出来ず、うつむいたままと聞きました。何故そんなに苦しめたのか。27年間、映画を作る喜びを与えてくれてありがとう。スタッフも幸せでした。心からお礼を申し上げます。

という弔辞を読み上げた。

世間では、渥美清の死を寅さんの死と捉えて報道された。死後、日本政府から渥美に国民栄誉賞が贈られた。『男はつらいよ』シリーズを通じて人情味豊かな演技で広く国民に喜びと潤いを与えたことが受賞理由。俳優で国民栄誉賞が贈られるのは、1984年に死去した長谷川一夫に次いで2人目である。

妻は熱心なカトリック信徒で、彼自身も、亡くなる直前に病床でカトリックの洗礼を受けていた事が明らかになっている。
渥美は亡くなるまで芸能活動の仕事をプライベートに持ち込まなかった。そのため、渥美の自宅住所は芸能・映画関係者や芸能界の友人にも知らされていなかった。

渥美清 経歴についての異説

渥美清のプライベートは謎につつまれた点が多く、経歴にはいくつかの異説がある。小林信彦著の『おかしな男 渥美清』の略年譜によれば、1940年に志村第一尋常小学校を卒業後、志村高等小学校に入学する。1942年に卒業し、14歳で志村坂上の東京管楽器に入社するが退社し、その後は「家出をしてドサ回り」をしていたとのことである。

小林 信彦
Amazonで詳細を見る by AmaGrea


巣鴨学園関係者によると、戦前の在籍記録は戦災により焼失しており、在籍の有無は公式にはなんとも言えないという。しかし、何人かのOBの証言によれば、在籍はしていたが、卒業はしていないとのことである。

渥美清 実像

「寅さん」の演技で見せる闊達さとは対照的に、実像は自身公私混同を非常に嫌い、他者との交わりを避ける孤独な人物だった。「男はつらいよ」のロケ先で、撮影協力した地元有志が開く宴席に一度も顔を出したことがない話は良く知られており、身辺にファンが近寄ることも嫌っていた。タクシーで送られる際も「この辺りで」と言い、自宅から離れた場所で降りるのを常としていた。

芸能界の関係者ともプライベートで交際することはほとんどなく「男はつらいよ」シリーズで長年一緒だった山田洋次や、親友であった黒柳徹子、関敬六、谷幹一でさえ渥美の自宅も個人的な連絡先も知らず、仕事仲間は告別式まで渥美の家族との面識はなかった。これは渥美が生前、私生活を徹底的に秘匿し、「渥美清=寅さん」のイメージを壊さないためであった。このきっかけは、街を歩いていた時に、見知らぬ男性から「よお、寅」と声をかけられてからの事だと語っている[1]。実生活では質素な生活を送っていたようで、車は一台も所有しておらず、仕事での食事も店を選ばずに適当な蕎麦屋で済ませていたという[2]。

プライベートでの交流が多かった数少ない芸能人として笹野高史、柄本明がいる(笹野と柄本は自由劇場で同僚でもあった)。2人とも「男はつらいよ」シリーズの共演者であった。芝居を見に行ったり、バーに飲みに行くこともあったという。笹野は「男はつらいよ 柴又より愛をこめて」以来山田作品の常連となるが、最初に山田監督に笹野を紹介したのは渥美自身であった。

渥美は藤山寛美を高く評価しており、寛美の公演のパンフレットには「私は藤山寛美という役者の芝居を唯、客席で見るだけで、楽屋には寄らずに帰れる。帰る道すがら、好かったなー、上手いなー、憎たらしいなあー、一人大切に其の余韻をかみしめる事にしている。」と書いていた。寛美も渥美が客席に来ていることを知ると、舞台で「横丁のトラ公、まだ帰ってこんのか。」と言うアドリブを発していた。[3]

原宿に「勉強部屋」として、自分個人用のマンションを借りており、そこに一人籠っていることも多かった。

一方で非常な勉強家でもあり、評判となった映画や舞台をよく見ていた。しかし「寅さん」とは、まったく違ったスマートなファッションであったため、他の観客らには、ほとんど気づかれなかったという。
山田洋次は渥美の頭脳の良さを指して「天才だった」と語っている。特に記憶力に関しては驚異的なものがあり、台本を2,3度読むだけで完璧にセリフが頭に入ってしまったと証言している[4]。

家族構成は妻と子供2人で、長男が公の場に顔を出すのは渥美の死後だった[5]。結婚式は親族だけでささやかに行い、仕事仲間など呼ばなかった。芸能記者の鬼沢慶一は招待され友人代表として出席したが、鬼沢はその事を渥美の死まで公表する事はなく、渥美の没後にその時の記念写真と共に初めて公開した。結婚まで秘密にしていたため、没する数年前でも渥美が独身と思っていた人が多かったようである。渥美は新珠三千代の熱狂的ファンを自称していたため、結婚の際は『新珠三千代さんごめんなさい。』の迷コメントを出した。

黒柳徹子はプライベートでも付き合いのある数少ない存在で、彼をお兄ちゃんと呼んでいたほか、夢であいましょうで共演していた時に熱愛疑惑が持ち上がったことがある。ちなみにその際それを報道したスポーツ新聞の紙面には、フランス座時代に幕間のコントで黒柳が小学生の頃いつも呼んでいたチンドン屋の格好をしていた時の写真が掲載された。これは当時マスコミにはその写真しかなかったためである。黒柳は1996年に開かれた「寅さん」とのお別れの会に出席したり、2006年は渥美が死んでから10年と節目の年であったためか渥美の事を話すこともしばしばあった。また森繁久彌は、渥美の才能に非常に目をかけ、渥美も森繁を慕っていたという。

2006年9月4日にNHKプレミアム10で放送された『渥美清の肖像・知られざる役者人生』によると、松竹が映画の低迷期であったのも手伝い、突出して人気のあった「寅さん」のイメージを大事にしたいからと色々な企画を没にしたりして、それ以外の役柄に恵まれなかった。増村保造の映画『セックス・チェック 第二の性』を元にして作中男だと疑われるスポーツ選手の女性が、本当に男だったという主演映画などが没になったアイディアの中にあった。

なお永六輔とは、少年時代から旧知の仲であり、永六輔によると渥美は永も所属していた不良グループのボスであったという。更に永の言葉によると、渥美が役者を目指す様になったのにはある刑事の言葉があると言う。曰く、ある時、渥美が歩道の鎖を盗みそれを売ろうとして警察に補導された事があった。その時の刑事に、「お前の顔は個性が強すぎて、一度見たら忘れられない。その顔を生かして、犯罪者になるより役者になれ」と言われた事が役者を目指すきっかけになったとの事である(上記、『渥美清の肖像・知られざる役者人生』によれば、テキ屋稼業に没頭していた頃、浅草の小屋から声をかけられそれが転機のキッカケとなったとされている)。

山田洋次系以外のスタッフでは、脚本家鈴木尚之が節目節目で招かれており、信頼が厚かったことを伺わせる。ただし、渥美自身が企画し鈴木が執筆した、1972
年春公開の『あゝ声なき友』が不振に終わり、厳格な今井正監督の現場になじめなかったこともあって、これを境に渥美は山田作品に専心するような形となる。その5年後の『八つ墓村』が記録的大ヒットにもかかわらず、松竹と角川書店(角川春樹)の確執からシリーズ化できなかったことがこの流れを決定づけた。

脚本家早坂暁は大学時代に銭湯で渥美清と知り合い、何度もプライベート旅行に行くなど親友となった。渥美は、早坂との旅行を大変楽しみにしており、渥美の死後発見された晩年の手帳には「……家族で旅行に行こう。ギョウさん(早坂暁の暁を音読みしたもの)も一緒に……」と綴ってあった。 2006年に放送された「渥美清の肖像~知られざる役者人生~」によると、早坂は渥美が大変才能のある役者であるのにもかかわらず、「寅さん」以外の役をほとんど演じられなかったことを危惧し、渥美主演の作品を数作企画していたが、実現しなかったそうである。 しかし、渥美には、初期のテレビドラマ「泣いてたまるか」や、上記「土曜ワイド劇場」の第1回作品の「田舎刑事」シリーズなどの脚本を書いており、いずれも「寅さん」ではない渥美の魅力が引き出された名作となっている。

長男田所健太郎は、ニッポン放送の入社試験の際、履歴書の家族欄に『父 田所康雄 職業 俳優』と書いたことから、採用担当者は大部屋俳優の息子と思っていた。後に渥美清が彼の父親として来社したため、社内は騒然となった[6]。
晩年は俳句を趣味としていて『アエラ句会』(AERA主催)において「風天」の俳号でいくつかの句を詠んでいる。森英介『風天 渥美清のうた』(大空出版、2008年、文春文庫 2010年)に詳しく紹介されている。

渥美清 主な出演

渥美清 映画

おトラさん大繁盛(1958年)
南の島に雪が降る(1961年)
投資令嬢(1961年)
大江戸評判記 美男の顔役(1962年)
あいつばかりが何故もてる(1962年)
若き日の次郎長 東海道のつむじ風(1962年)
おかしな奴(1963年)
つむじ風(1963年)
拝啓天皇陛下様(1963年)
無宿人別帳(1963年)市兵衛
太平洋の翼(1963年)丹下一飛曹
散歩する霊柩車(1964年)
馬鹿まるだし(1964年)
続・拝啓天皇陛下様(1964年)
拝啓総理大臣様(1964年)
風来忍法帖(1965年)
ブワナ・トシの歌(1965年)
沓掛時次郎 遊侠一匹(1966年)
喜劇急行列車(1967年)
喜劇団体列車(1967年)
父子草(1967年)
喜劇初詣列車(1968年)
燃えつきた地図(1968年)
白昼堂々(1968年)
スクラップ集団(1968年)
喜劇 爬虫類(1968年)
でっかいでっかい野郎(1969年)
喜劇 女は度胸(1969年)
男はつらいよシリーズ(1969年 – 95年、97年、全49作) – 車寅次郎
トラ・トラ・トラ!(1970年)※日本公開版のみ
家族(1970年)
喜劇 男は愛嬌(1970年)
あゝ声なき友(1972年)
故郷(1972年)
砂の器(1974年)ひかり座の支配人
ビューティフル・ピープル ゆかいな仲間(1974年)日本語版ナレーター
友情(1975年)
同胞(1975年)
八つ墓村(1977年)
幸福の黄色いハンカチ(1977年)渡辺係長
皇帝のいない八月(1978年)
遙かなる山の呼び声(1980年)
キネマの天地(1986年)喜八
二十四の瞳(1987年)ナレーター
ダウンタウンヒーローズ(1988年)ナレーター
学校(1993年)八百屋の親父

渥美清¥ 13,319

Amazonで詳細を見る by AmaGrea


渥美清¥ 3,747

Amazonで詳細を見る by AmaGrea

渥美清¥ 99,900

Amazonで詳細を見る by AmaGrea

渥美清
Amazonで詳細を見る by AmaGrea

渥美清¥ 1,978

Amazonで詳細を見る by AmaGrea

渥美清 テレビ

第14回NHK紅白歌合戦(1963年) 応援ゲスト
四重奏(1964年、日本テレビ)
渥美清の泣いてたまるか
大和魂くん
東芝日曜劇場(多数出演)
人形佐七捕物帳(1965年、NHK)
おんなの劇場 出雲の女(1969年、フジテレビ)
おれの義姉さん(1970年、フジテレビ)
こんな男でよかったら(1973年、よみうりテレビ)
ヨイショ(1974年6月 – 11月、TBS)
天皇の料理番(1980年10月 – 1981年3月) ナレーション
田舎刑事 (1977年、テレビ朝日)
「幾山河は越えたれど〜昭和のこころ 古賀政男〜」(古賀政男役、1979年)
木曜ゴールデンドラマ「花嫁の父」(1981年)
花へんろシリーズ(1985年 – 1988年) ナレーション

渥美清 ラジオ

『渥美清 ローマンス劇場』
『渥美清の男性諸君』
いずれも「一慶・美雄の『夜はともだち』」内包番組(TBSラジオ/1976年~1978年)

渥美清 CM

ハナマルキ
エーザイ
ブリヂストン 新・回転理論技術「DONUTS(ドーナツ)」 専属キャラクター[7]
ロート製薬 「パンシロン」[8]
サントリー「サントリー生ビール ナマ樽」
中外製薬「バルサン」
いすゞ自動車 「エルフ」
日本アイ・ビー・エム 「IBMマルチステーション5550」
日本テレコム
朝日新聞 [9]
パイオニア「DVDレコーダー」(没後に製作)

渥美清 シングル

泣いてたまるか(TBS連続テレビドラマ「泣いてたまるか」主題歌)(B面:若いぼくたち/ミュージカル・アカデミー)(1966年5月10日)
オー大和魂(TBS連続テレビドラマ「大和魂くん」主題歌)(B面:雨の降る日は天気が悪い)(1968年10月)
男はつらいよ(フジテレビ連続テレビドラマ「男はつらいよ」主題歌、松竹映画「男はつらいよ」主題歌)(B面:チンガラホケキョーの唄)(1970年2月10日)
ごめんくださいお訪ねします(松竹映画「あゝ声なき友」主題歌)(B面:あゝ声なき友)(1972年3月25日)
さくらのバラード(歌:倍賞千恵子)(B面:寅さんの子守唄)(1972年4月)
こんな男でよかったら(B面:ひとは誰でも)(よみうりテレビドラマ「こんな男でよかったら」)(1973年4月5日)
いつかはきっと(掛け声:山田パンダ)(TBSテレビドラマ「ヨイショ」主題歌)(B面:遠くへ行きたい)(1974年8月25日)
寅さん音頭(B面:赤とんぼ)(1975年7月5日)
祭りのあと(B面:駅弁唱歌)(1975年9月5日)
渥美清の啖呵売I(B面:渥美清の啖呵売りⅡ)(1976年6月25日)
浅草日記(B面:すかんぽの唄)(1977年6月25日)
今日はこれでおしまい(1977年10月25日)
DISCO・翔んでる寅さん(B面:寅さん音頭)(1979年7月25日)

渥美清 アルバム

渥美清が歌う哀愁の日本軍歌集(1968年12月5日)
噫々戦友の詩(きけわだつみのこえ)より(1971年)
男はつらいよフーテンの寅と発します!(1971年11月)
男はつらいよ名場面集(第一集)
男はつらいよ名場面集(第二集)
男はつらいよ名場面集(第三集)(1974年)
渥美清ベストヒット28(1976年)

渥美清 著書

『きょうも涙の日が落ちる 渥美清のフーテン人生論』 (展望社、2003年)
『渥美清わがフーテン人生』「サンデー毎日」編集部編 (毎日新聞社、1996年)
『赤とんぼ 渥美清句集』 森英介編 (本阿弥書店、2009年)

渥美清 参考文献

関敬六 『さらば友よ』(ザ・マサダ、1996年)
渥美清の肘突き 人生ほど素敵なショーはない (福田陽一郎、岩波書店)
おかしな男 渥美清(小林信彦、新潮文庫)
知られざる渥美清(大下英治、廣済堂文庫)
渥美清 浅草・話芸・寅さん(堀切直人、晶文社)
拝啓渥美清様(読売新聞社会部、中公文庫)
渥美清の伝言(NHK同制作班編 KTC中央出版)
渥美清晩節、その愛と死 (篠原靖治、祥伝社)

渥美清 親族

田所健太郎
長男。株式会社ニッポン放送に所属していたラジオディレクター。主な担当番組に伊集院光のOh!デカナイト、(有)チェリーベルがある 。現在は株式会社ニッポン放送を退社し、フリーのラジオディレクター。
山岡和美
元ニッポン放送アナウンサー、長男の妻。

渥美清 渥美清を演じた、ものまねをした人物

南原清隆-ドラマ「渥美清物語」で主演。
原一平-寅さんのものまねは、渥美本人も生前から認めていた、唯一の渥美清公認ものまね芸人。寅さんのものまねをする際に着用する衣装は渥美本人が映画で実際に使っていたのを譲り受けた物である。
佐々木つとむ-1970年代に人気を博した。
フランクさな寅(フランクさな寅ブログ) 地元ですら知る人ぞ知る「広島の寅さん」。TSS「親子笑劇場電太郎一家」(ローカルミニドラマ。既に終了)にドラ猫のドラ役で出演していた。
野口陽一 山田洋次監督公認。
山口智充(「ワンナイR&R」にて)

渥美清 脚注

^ NHK『100年インタビュー』(山田洋次の回想より)
^ NHK『100年インタビュー』(山田洋次の回想より)
^ 小林信彦「おかしな男 渥美清」
^ 「男はつらいよ DVD BOX」、監督の特典インタビューにて(2008年収録)
^ NHK『100年インタビュー』(山田洋次の回想)
^ 余談だがギタリスト布袋寅泰が同じマンションに住んでいたことがあり、バンドのツアーに向かう布袋が偶然エレベーターの乗り口であった際、渥美から「旅ですか?」と話しかけられ、とっさに「はい。北へ」と答えたのをきっかけに、正月に「つまらないものですが、部屋の隅にでも飾ってやってください。」と、『男はつらいよ』のカレンダーを部屋まで届けてくれたという(布袋のブログの記述による)。
^ 1995年から逝去後の1997年まで、「ニッポンのタイヤが変わります」のキャッチフレーズでCM出演していた。またこのCMは放映時期の季節に合わせて、渥美の服装と背景が変化した。
^ 幼少時代の沢田聖子と共演(父親役の渥美清が沢田を肩車するシーン)したバージョンがあった。ちなみに渥美は前出のブリヂストンのCMと同じく逝去直前に「パンシロン新胃腸薬」のCMに復帰出演していたことがある。
^ CMのキャッチコピーは「歴史は、あっちこっちでつくられる。」。コピーライターの神様と称される仲畑貴志の手によるものである。

言葉のくすり 寅さん 「男はつらいよ」1969年年・昭和44年)の映画版第一作

「男はつらいよ」1969年年・昭和44年)の映画版第一作です。


「私、生まれも育ちも東京葛飾柴又です
姓は車、名は寅次郎、人呼んでふうてんの寅と発します、
皆様ともどもネオン(neon)ジャンク(junk)高鳴る大東京に
仮の住居罷りあります、不思議な縁持ちまして
たったひとりの妹のために粉骨砕身、バイに励もうと思っております、
西に行きましても東に行きましても、
とかく、土地土地のオアニイサンオアネエサンに御厄介かけがちなる
若造でござんす、以後見苦しき面体お見知りおかれまして
恐惶万端引き立って、宜しくお頼み申します」


男はつらいよ (映画)映画版第一作

渥美清


監督 山田洋次
脚本 山田洋次
森崎東
製作 上村力
出演者 渥美清
倍賞千恵子
光本幸子
笠智衆
志村喬
森川信
前田吟
津坂匡章
佐藤蛾次郎 他
音楽 山本直純
主題歌 『男はつらいよ』渥美清
配給 松竹
公開 1969年8月27日
上映時間 91分
製作国 日本
言語 日本語
興行収入 1億1千万円
次作 続・男はつらいよ

『男はつらいよ』(おとこはつらいよ)は、1969年8月27日に公開された日本映画。男はつらいよシリーズの1作目。
ロケ地、京都、奈良。上映時間は91分。客動員は54万3000人。配給収入は1億1000万円。同時上映は『喜劇・深夜族』(伴淳三郎)

男はつらいよ 作品概要

松竹が、そして日本映画界が誇る、堂々27年にわたる下町人情大河喜劇映画シリーズの記念すべき第1作。

男はつらいよ あらすじ

20年振りに故郷、東京は葛飾柴又に帰ってきた車寅次郎(渥美清)。丁度庚申の祭りの最中で、早速祭りに参加する寅次郎。そんな中、懐かしいおいちゃん(森川信)、おばちゃん(三崎千恵子)や妹さくら(倍賞千恵子)に涙の再会を果たす。翌日、さくらの見合いに出席した寅次郎だが、酔った挙句の大失態。見合いをぶち壊した寅次郎はおいちゃんらと大喧嘩し、柴又を去っていく。その後、寅次郎は旅先の奈良で冬子(光本幸子)という女性に出会う。すっかりホの字の寅次郎は、冬子と共に柴又へ。柴又へ帰った寅次郎は、ひとつのカップルの縁談を進める。これが裏の印刷工博(前田吟)と妹さくらであった。二人はあっという間に結婚へと進むが、肝心の寅次郎の恋は儚くも散ってしまうのであった。

男はつらいよ キャスト

車寅次郎:渥美清
車さくら:倍賞千恵子
冬子:光本幸子
御前様:笠智衆
諏訪飈一郎:志村喬(特別出演)
車竜造:森川信
諏訪博:前田吟
川又登:津坂匡章
源公(源吉):佐藤蛾次郎
司会者:関敬六
車つね:三崎千恵子
たこ社長(梅太郎):太宰久雄
部長:近江俊輔
鎌倉道男:広川太一郎
道男の父:石島戻太郎
道男の母:志賀真津子
鎌倉郁子(道男の妹):津路清子
川甚の仲居:村上記代
工員1:石井愃一
工員2:市山達己
香具師1:北竜介
香具師2:川島照満
たこ社長の妻:水木涼子
ご近所さん、結婚式の客:谷よしの
スタッフ [編集]

原作、監督 – 山田洋次
製作 – 上村力
企画 – 高島幸夫、小林俊一
脚本 – 山田洋次、森崎東
撮影 – 高羽哲夫
美術 – 梅田千代夫
音楽 – 山本直純
照明 – 内田喜夫
編集 – 石井巌
録音 – 小尾幸魚
調音 – 松本隆司
監督助手 – 大嶺俊順
装置 – 小野里良
進行 – 池田義徳
製作主任 – 峰順一

渥美清


男はつらいよ 受賞

第24回毎日映画コンクール監督賞/山田洋次
同・男優賞/渥美清
キネマ旬報BEST10第6位
シナリオ作家協会シナリオ賞/森崎東
第20回芸術選奨・文部大臣賞/山田洋次
全国興行環境衛生同業組合第14回ゴールデングロス賞特別感謝賞

笑いヨガには、福来たる!世界は愛と笑いに満ちている!! TOP » 映画のくすり