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しあわせはいつも自分のこころがきめる

相田みつをの名言

つまずいたっていいじゃないか人間だもの。

しあわせはいつもじぶんのこころがきめる。

うばい合うと 足らないけれど
わけ合うと あまっちゃうんだなあ

いいことは おかげさま
わるいことは 身から 出たさび

外灯というのは
人のために つけるんだよな
わたしはどれだけ
外灯を つけられるだろうか

トマトにねぇ
いくら肥料をやったってさ
メロンにはならねんだなあ

七転八倒
つまづいたり
ころんだりするほうが
自然なんだな 人間だもの

どのような道を歩くとも 
いのちいっぱいに 
生きればいいぞ

あとじゃできねんだよなあ
いまのことは いましかできぬ

しあわせはいつも自分のこころがきめる

歩くから道になる  
歩かなければ草が生える

自分の心のどん底が納得しているかどうかそこが大事

かねが人生のすべてではないが 有れば便利 無いと不便です 便利のほうがいいなぁ。

親切と言う名のおせっかい。そっとしておくおもいやり

ビリがいるから1位がいる

やれなかった やらなかった どっちかな。

夢はでっかく根はふかく。

アノネ、がんばんなくてもいいからさ、具体的に動くことだね。
毎日少しずつ。それがなかなかできねんだなあ

相田 みつを(あいだ みつを、本名:相田 光男、雅号:貪不安(ドンフアン)1924年5月20日 – 1991年12月17日)は、
日本の詩人・書家。平易な詩を独特の書体で書いた作品で知られています。

相田 みつをの生い立ち

1924年、栃木県足利市に生まれた。生家は名刹、鑁阿寺(ばんなじ)の東に位置していた。旧制栃木県立足利中学校在学中に書や短歌、絵に親しんだが、喫煙の濡れ衣をきせられ軍事教練の教官に嫌われたために進学を断念。
卒業後は歌人・山下陸奥に師事した。
1942年、歌会で生涯の師となる曹洞宗高福寺の武井哲応と出会い、在家しながら禅を学んだ。1943年、書家を志して岩沢渓石に師事、本格的に書の修行を積んだ。
1953年、関東短期大学夜間部国文科卒。

相田 みつをの創作活動

相田は書の最高峰のひとつとされる毎日書道展に1954年から7年連続入選するなど、技巧派の書家として出発した。
1947年の「鄭文公碑臨書」で古典的な書における実力を示す一方、1950年に栃木県芸術祭書道中央展に出品した「宿命」では、伝統的な書道界に対する複雑な思いを詩文書の形で吐露。
専門家でなければ理解しにくい書のあり方に疑問を抱き、「書」と「詩」の高次元での融合を目指すようになり、三十歳のころ、独特の書体で、短く平易な自らの言葉を書く作風を確立した。

1954年、最初の個展を足利市で開催。個展はその後も足利市などで毎年開催されるようになった。
1955年ろうけつ染めを学び、書道教師ではなく、ろうけつ染めや地元商店からデザインを請け負うなどして生計を立てていたが、1974年、紀野一義のベストセラー『生きるのが下手な人へ』で紹介され、
さらに1984年、詩集『にんげんだもの』出版が契機となり、広く知られるようになった。

『にんげんだもの』はその後ミリオンセラーとなり、つづく第2詩集の『おかげさん』(1987年)も約25万部のベストセラー、地位を確立した。

1991年、道でころんで足を骨折し、足利市内の整形外科に入院したが、脳内出血と診断され、それが原因となり急逝。最期まで仕事への意欲は衰えず、
「一文字を書いた大作だけを集めた展覧会を開きたい」というのが、長男・一人との最期の会話になった。享年68(数え年)。

作品に対して妥協を許さず、「逢」というたった一文字を書くために何百枚何千枚と紙を無駄にしたり、
印刷のわずかなズレや墨の色の微妙な違いから印刷済みの色紙千枚がボツになったこともあったという。
挫折を乗り越えてつくりあげられた作品には自らの実生活が重ね合わされているのが特徴である。


相田みつをの遺産

1996年、相田みつを美術館開館。 2004年、木梨憲武主演で相田の生涯がドラマ化された。『にんげんだもの -相田みつを物語-』
2011年、野田佳彦による民主党代表選での演説で、「どじょう」(第2詩集「おかげさん」収録)が引用されると、美術館の来場者急増や詩集の注文殺到による増刷など脚光を浴びた。

相田みつをに対する批評

大衆的人気と商業的な成功とは裏腹に、文学や書の分野で相田の作品が評論されることは皆無に等しく、詩人の高橋順子は「相田作品は処世訓のようなもの」、
思潮社代表取締役であり詩人でもある小田久郎は「今は分かりやすいものが受ける時代。詩は難解であっていい」、
現代詩作家の荒川洋治は「実用的で即効性のあるものが求められているのを感じる。でも、自分がどう生きるのか、長い時間をかけて考えさせてくれるのは文学しかない」と、おおむね否定的である。

一方、詩人の杉山平一は「相田みつをを詩人として認めるべき」であり「大勢の人に相田作品が読まれている現実を、無視するわけにはいかないでしょう。
むしろ詩人は、独りよがりになりすぎた現代詩の反省材料として、相田ブームを見るべきではないか」と述べた。

作家の立松和平は相田を「思想の語り部」と評し、「難しい言葉を一つも語らないで、仏教の根本的な哲理のようなものを語ってしまう。
そして、それを読んだ人に『なにかが残る』んですね。残る――ということは、その先の世界があるということです」と語った。

行動経済学研究の第一人者であるリチャード・セイラー(en:Richard Thaler)は「彼の残した書の言葉は実に素晴らしく、心を打たれました。印象に残ったのは、“しあわせはいつもじぶんのこころがきめる”というフレーズと、
“にんげんだもの”です。行動経済学に通じるものがあります」と語り、相田の人に対する洞察が行動経済学が想定する「人類」をうまく表現していることを指摘した。

著名人の座右の銘

「そんかとくか 人間のものさし うそかまことか 佛さまのものさし」 南部康之(パソナ代表取締役グループ代表)
「そのとき どう動く」 菅原澄(画商・タマ美術代表取締役)
「たまには涙をみせたっていいがな」 藤波辰爾(新日本プロレス社長)
「一生燃焼、一生感動、一生不悟」 常盤百樹(ときわももき、四国電力社長)
「一生勉強 一生青春」 相田みつを(書家・詩人)
「どじょうがさ 金魚のまねすることねんだよなあ」 野田佳彦(現首相・民主党衆議院議員)

相田みつをの私生活

1954年、大きな商家の末娘であった平賀千江と結婚。千江は歌会で相田と知り合ったが、不器用で収入がなかった相田との結婚に周囲が反対したという。
一男一女をもうけ、家族四人は八畳一間で暮らしていたが、相田だけは三十畳のアトリエを独占していたという。相田みつを美術館館長の相田一人は長男。

画商の菅原澄によると、相田は自分では「自分は書家ではない。在野の坊主だ」と常々言っていたが、人間臭く、わがままで、嫌いな相手とすぐケンカになったり、女性に大層もてたりしたという。

埼玉県加須市在住の書道家我峰(渡邉浅男)[要出典]、女流書家の尾花也生(おばなやよい)など、懇意にしていた書道家仲間が多数存在した。

足利を代表する須永花火など数社を有する須永グループ代表の須永昇は相田のパトロンの一人であり、無名だった相田の作品を展覧会の度に購入して活動を支えた。
現在も須永家では相田の作品を数多く所蔵し、一部は相田みつを美術館に寄贈、須永コレクションとして展示されている。

相田みつをの著書

50冊近い「相田本」はロングセラーを続け、累計1,000万部に迫るとされる。

相田みつを単著
『にんげんだもの』 文化出版局(のち角川文庫)、1984年。
『おかげさん』 ダイヤモンド社、1987年。
『一生感動一生青春』 文化出版局、1990年。
『相田みつをひとり語り 第1集 いまここ』 ダイヤモンド社、1990年。
『いのちいっぱい』 ダイヤモンド社、1991年。
『いちずに一本道いちずに一ツ事』 佼成出版社(のち角川文庫)、1992年。
『雨の日には…』 文化出版局、1993年。
『しあわせはいつも』 文化出版局、1995年。
『アノネ』(相田みつを・心の詩1) ダイヤモンド社、1995年。
『空を見上げて』(相田みつを・心の詩2) ダイヤモンド社、1995年。
『大事なこと』(相田みつを・心の詩3) ダイヤモンド社、1995年。
『いまここ―対訳相田みつを作品集』 ティム・ジェンセン訳、ダイヤモンド社、1996年。
『生きていてよかった』 相田一人監修、ダイヤモンド社(のち角川文庫)、1998年。
『そのままでいいがな―対訳相田みつを作品集2』 ティム・ジェンセン訳、ダイヤモンド社、2000年。
『相田みつをと私 著名50人が選んだマイベストコレクション』 毎日新聞社〈毎日ムック〉、2000年。
『あなたのこころがきれいだから…―対訳相田みつを作品集3』 ティム・ジェンセン訳、ダイヤモンド社、2000年。
『じぶんの花を』 文化出版局、2001年。
『ひとりしずか』 角川文庫、2001年。
『私が「じぶん」に出逢うとき』 毎日新聞社〈毎日ムック〉、2002年。
『いまからここから』 ダイヤモンド社、2003年。
『「生きていてよかった」特別編 3年B組金八先生ベストセレクション』 ダイヤモンド社、2005年。
『いのちのバトン 初めて出会う相田みつをのことば』 角川文庫、2005年。
『本気』 文化出版局、2006年。
『相田みつをの「本気」で書き写し』 文化出版局、2006年。
『いのち いちばん大切なもの』 文化出版局、2008年。
『いちばん大事なこと―絆シリーズ』 ダイヤモンド社、2008年。
『みんなほんもの―絆シリーズ』 ダイヤモンド社、2008年。
『雨の日には雨の中を風の日には風の中を』 角川文庫、2009年。
『ある日自分へ』 相田一人監修、文化出版局、2010年。
『一生感動一生青春―相田みつを ザ・ベストシリーズ』 角川文庫、2011年[20]。
『にんげんだもの 逢―相田みつを ザ・ベストシリーズ』 角川文庫、2011年[20]。
『にんげんだもの 道―相田みつを ザ・ベストシリーズ』 角川文庫、2011年[20]。
『しあわせはいつも―相田みつを ザ・ベストシリーズ』 角川文庫、2011年[20]。

相田みつを共著
佐々木正美・相田みつを『育てたように子は育つ 相田みつをいのちのことば』 相田一人監修、小学館、1999年。
佐々木正美・相田みつを『なやみはつきねんだなあ 相田みつをいのちのことば』 小学館、2003年。
川上健一・相田みつを『日めくり物語 三十の人生の三十の感動』 小学館、2004年。
辻慶樹・相田みつを『ことばは光』 アスク、2005年。
野崎洋光・相田みつを『相田みつをの心 野崎洋光の味』 文化出版局、2009年。

相田みつを参考文献

紀野一義 『生きるのが下手な人へ』 光文社、1974年。
松本幸夫 『いのちの詩人相田みつをに学ぶ』 総合法令出版、1997年。
相田一人 『父相田みつを』 文化出版局(のち角川文庫)、1998年。
相田一人 『書相田みつを』 文化出版局、1998年。
松本幸夫 『おかげさまの人生 相田みつをに学ぶ生き方』 総合法令出版、1998年。
『相田みつを 奇跡のことば』 河出書房新社〈Kawade夢ムック〉、2001年。
今井久喜 『ことばに生かされて 相田みつを・人生の応援歌』 相田一人監修、小学館、2002年。
致知編集部 『現代人の伝記1』 致知出版、2003年。

恋愛とは二人で愚かになることだ。

ポール・ヴァレリーの名言

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人間は自分自身と折り合える程度にしか他人とも折り合えない


最も深いもの、それは皮膚である


栄光とは、私に可能であることが、それが不可能である人々に与えた感銘である。


自分の現実的な必要や、実証できる能力に従って、自己の精神を作り直さなかった人々の意見はまったく取るに足りない。
 

天分のない才能は取るに足りない。才能のない天分は何ものでもない。


いかなる美も要約することはできない。


最大の偉人たちとは自己の判断を断固として信じた人であった。
しかし最大の愚か者たちも同じである。



その歴史のある時期に世界征服を企てた国民の他、偉大な国民はない。
理由は簡単だ。この欲望とこの努力は卓越した生命力を指し示す。
ユダヤ人。ギリシア人。


己れ自身にとって人間の中で最も困難な人間になることを
試みなければならない。そして、そこにこそ誇りがあるのだ。

偉人とは小人を十倍したものではない。

個人の価値はその人の手本の価値に比例する。


香水をつけない女に未来はない


湖に浮かべたボートをこぐように
人は後ろ向きに未来へ入っていく
目に映るのは過去の風景ばかり
明日の景色は誰も知らない


思考は極端なるものによってのみ進むが、
中庸なるものによってのみ存続する。


新しいものの中で最も善きところは、人間の最も古い要請に応える点だ。


狼は草に依存する子羊に依存している。草は狼によって守られている。肉食動物は草木を保護するが、草木は間接的に肉食動物を養っている


最も偉大なる人とは、彼自身の判断に信頼することをあえて行う人間である。もっとも、愚かな人もまた、それと同様だが・・・


理想とは、不満の意を表現する方法のことである


世の中には創造する天才があるように、探す天才もあり、
書く天才があるように、読む天才もある


己の夢を書こうと欲する者は、かえって目覚めていなければならない


人が愛したことのない、けっして愛そうもない人々に対しては真の憎しみはあり得ない。憎まれるに値しないような人に対しては極端な愛はけっして生まれない

人生は謙譲という永い教訓である


魂を肉体から分離させるものは、生であって死ではない


竜虎は常に、人目につきたくない人が目につきたい人を模倣する事にあるから、
その結果、流行は自動的に変化する。だが、商人がこの流行の振り子を操作する。


エロチシズムは、真実を告白しようとする人々にとって、決して疎遠なものではない



欲望と渇望の対象としての女性、道具であり、かつ装飾である女性、
快楽と生殖の器具である女性

アンブロワズ=ポール=トゥサン=ジュール・ヴァレリー(Ambroise-Paul-Toussaint-Jules Valéry, 1871年10月30日 – 1945年7月20日)は、
フランスの作家、詩人、小説家、評論家。
多岐に渡る旺盛な著作活動によってフランス第三共和政を代表する知性と称されています。

ポール・ヴァレリーの生涯と作品

1871年、地中海沿岸の港町セットに生まれる。母ファニーはトリエステ生まれのイタリア人。
ちなみに同年の7月には『失われた時を求めて』の作者マルセル・プルーストが生まれている。

1884年、モンペリエに移住。この頃から文学に関心を持ち始め詩を書き始める。1887年3月、父バルテレミー死去。1888年、モンペリエ大学法学部入学。
少年時代はポーやボードレール、ランボーの詩に熱中していた。
1889年頃、ユイスマンスの『さかしま』を耽読し、そこに引用されていたマラルメの未完の詩『エロディヤード』の断片に魅せられる。

1890年5月、モンペリエ大学創立600年記念祝賀で偶然、パリからやってきた詩人ピエール・ルイスと知り合い親交を深める。
ルイスはヴァレリーとの文通のなかでマラルメの『エロディヤード』の詩を30行ほどを書き送り、ヴァレリーを感激させる(1890年9月頃)。
12月、ルイスを通してアンドレ・ジッドと知り合い、終生その友情関係を結ぶ。またこの頃、マラルメに手紙を書き送り、返事をもらっている。
1891年頃、詩作が活発になり、ルイス主宰の同人誌『ラ・コンク』創刊号に『ナルシス語る』を投稿する。同年9月、母と共にパリへ。ユイスマンスとマラルメに会う。

1892年9月から11月、母方の親戚の住むジェノヴァに滞在した。この頃詩人としての才能を疑い、文学的な営みに対して激しい嫌悪を抱くに至ったヴァレリーは次第に文学から遠ざかった。
そして片思いの恋慕など、雑多な思考を切り捨て、知性のみを崇拝することを決意した。この決意はジェノバ滞在中の記録的な嵐があった晩と同時期とされる為、「ジェノバの夜」と呼ばれている。
そして1894年から『カイエ』と呼ばれる公表を前提としない思索の記録をつづり始め、その量は膨大な量(およそ2万6千ページ)となった。
1895年に評論『レオナルド・ダ・ヴィンチの方法序説』を発表、1896年に小説『ムッシュー・テストと劇場で』を発表の後、『カイエ』の活動を基軸とした20年に及ぶ文学的沈黙期に入る。

1917年4月、ジッドの勧めにより創作していた『若きパルク』をNRF誌上で発表し、一躍名声を勝ち得る。
1922年、『魅惑』発表。1925年、アナトール・フランスの後任としてアカデミー・フランセーズ会員に選出される。
1937年からはコレージュ・ド・フランスの詩学講座を担当する。数多くの執筆依頼や講演をこなし、フランスの代表的知性と謳われ、第三共和政の詩人としてその名を確固たるものしていく。1945年死去。
その死はドゴールの命により戦後フランス第一号の国葬をもって遇せられた。

ジッドの尽力により、1930年から逝去した1945年にかけて、断続的にほぼ毎年ノーベル文学賞候補としてノミネートされたが[1]、受賞はかなわなかった。
モンペリエ大学の法学部出身であり、現在のモンペリエ第3大学(文学部)には彼の名前が冠せられている。ちなみに8歳年上の兄ジュールは同大学法学部教授であり、後に総長となっている。ルノワール、ドガらとの親交もあり、画家ベルト・モリゾの姪が妻ジャニ・ゴビヤールである。

ポール・ヴァレリーと日本

日本では、アルベルト・アインシュタインの相対性理論をいちはやく理解した詩人として知られるようになった。
小林秀雄訳「テスト氏」が早くから読まれ、詩は堀口大學が訳し、ヴァレリー自身と書簡のやり取りもしている。
戦前(昭和初期)より佐藤正彰・河盛好蔵・吉田健一等が訳し、創立間もない筑摩書房で『全集』は刊行された。一度目は戦局の悪化で、二度目は戦後の出版事情で未完となった。
『全集』は、1960年代後半より佐藤正彰・鈴木信太郎等の編集により出版開始。新装版と増補版も刊行した。21世紀に入ると清水徹や恒川邦夫などの新訳が刊行されている。

ポール・ヴァレリーの主な著作(邦訳)

『天使』 初期詩集
『レオナルド・ダ・ヴィンチの方法 序説ほか』(1895年)、(山田九朗訳、岩波文庫)
『ムッシュー・テスト』(1896年)、(清水徹訳、岩波文庫、2004年。小林秀雄訳による『テスト氏』が有名)
『方法論的制覇』 ドイツ評論ほかの文明批評。
『若きパルク La Jeune Parque』(1917年)
 ※韻文詩で自身による改訂が幾多もなされた。(中井久夫訳注、みすず書房)
『海辺の墓地』(『魅惑 Charme』に所収。1922年)
※日本では堀辰雄の『風立ちぬ』の冒頭に引用された「風立ちぬ、いざ生きめやも ”Le vent se lève, il faut tenter de vivre.”」(風が起きた、生きてみなければならない)の一節で知られる。
『精神の危機』 ヨーロッパ文明評論。(恒川邦夫訳、『精神の危機 他15篇』 岩波文庫、2010年)
『ヴァリエテ Ⅰ~Ⅴ』 (1924~44年)、ヴァレリーの代表作で評論集。
※Ⅰが最初期の日本語訳書、中島健蔵・佐藤正彰訳、Ⅱは寺田透・安土正夫訳、各白水社、(全訳版は人文書院全2巻、1966年、限定1800部)
『ドガ ダンス デッサン』 (清水徹訳 筑摩書房 2006年、旧訳版は、吉田健一訳、『ドガに就て』)
『エウパリノス』 (1921年) プラトンの対話形式を用いた、建築、音楽評論。
 (清水徹訳「魂と舞踏・樹についての対話」と併せ、岩波文庫、2008年)
『我がファウスト』  戯曲で、最晩年の作品
全集・作品集 [編集]
『ヴァレリー全集』(全12巻+補巻2、筑摩書房、新版1977-79年[2])
『ヴァレリー全集 カイエ篇』(全9巻、筑摩書房、1980-83年)-※但し年代順ではない。
『ジッド=ヴァレリー往復書簡』(1巻.1890-1896年/2巻.1897-1942年、二宮正之 編訳、筑摩書房、1986年)
『ヴァレリー・セレクション』(上下、東宏治・松田浩則 編訳、平凡社ライブラリー、2005年)
『ヴァレリー集成』(全6巻、筑摩書房、2011年2月~12年7月刊) -テーマ別集成で新訳。
Ⅰ テスト氏と<物語> 恒川邦夫 編訳
Ⅱ <夢>の幾何学 塚本昌則 編訳
Ⅲ <詩学>の探究 田上竜也・森本淳生 編訳
Ⅳ 精神の<哲学> 山田広昭 編訳
Ⅴ <芸術>の肖像 今井勉・中村俊直 編訳
Ⅵ <友愛>と対話 恒川邦夫・松田浩則 編訳

お前がいつか出会う災いは、 おまえがおろそかにしたある時間の報いだ。

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ナポレオン・ボナパルトの名言

兵士諸君、ピラミッドの頂から、四千年の歴史が諸君を見つめている。
Soldats, songez que du haut de ces pyramides, quarante siècles vous contemplent.
1798年7月21日、エジプト遠征に際して、ギザのピラミッドの前で。
不可能という言葉はフランス語にはない。または 不可能という言葉はフランス的ではない。
Impossible n’est pas français.
同じ意味で別の言回しとして「余の辞書に不可能という文字はない。」「不可能という文字は愚か者の辞書にのみ存在する」「不可能は小心者の幻影、卑怯者の避難所」などがある。ナポレオンが日常よく口にした言葉で、一般には「余の辞書に不可能の文字はない」として知られる。「不可能と言う文字は愚か者の辞書にのみ存在する」という言葉から、変わったという説もある。
天才とは、彼らの世紀を照らして光輝くべく運命づけられた流星である。
Les hommes de génie sont des météores destinés à brûler pour éclairer leur siècle.
ルソーは存在しなかった方がフランスの安寧のためには良かった。フランス革命の下地を拵えたのは、あの男である。後世の人々はこの地上で安息を得るには、ルソーもボナパルトも出現しないでほしかったと思うに違いない。
第一執政時にルソーの墓を訪れたときの言葉。
愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る。
ヨーロッパでは、もうすることがない。東洋でしか、大きな仕事はできない。そこでこそ、大きな評判、莫大な富を得ることができる。
偉大さが輝きを放つのは、回想においてか、想像においてのみである。
最大の危機は勝利の瞬間にある。
宗教は貧しい者が金持ちを殺害する事をおもいとどまらせる。
英語から重訳。
宗教というのは庶民を黙らせるのにちょうど良い目くらましだ。
非常によく統治された国家にあっては、一つの支配的な宗教があるほうがいい。しかしその場合、聖職者は民衆に奉仕する存在でなければならない。
宗教なき社会は、羅針盤のない船のようなものである。
人はその制服どおりの人間になる。
偉大な人間は必要もなく残酷になることは決してない。
Les grands hommes ne sont jamais cruels sans nécéssité.
友人をもつということは幸福なことなのだ。
約束を破りたくなければ、約束などしないことだ。
平和とは、いろいろな国の真の利害ーすべての国にとって名誉ある利害ーに基礎をおいた、よくよく熟慮されたひとつのシステムの結果でなければならない。降伏でもありえず、威嚇の結果でもありえない。
戦争とは、私の手中にある無政府状態への解毒剤であった。
La guerre a été dans mes mains l’antidote de l’anarchie.
時代とは人間の偉大な芸術である。
Le temps est le grand art de l’homme.


執務室にいるナポレオンの肖像、ダヴィッド、1820年。ナショナル・アート・ギャラリー(ワシントンD.C.)所蔵。
私はもはや、何人にも服従することはできない。命令の味を知ってしまったからだ。
フランスに危機がくる時にはジャンヌ・ダルクのような英雄が出てくるのは不思議ではない。
もし諸君が革命戦争の終りを熱望するならば、武器を取って集結せよ。
もし諸君が「私はアウステルリッツで戦った」といいさえすれば、こういう答えをうけるであろう、「ああこの人は勇士だ」と。
アウステルリッツでの戦勝の後、兵士への布告。
私に6万の兵が加われば16万に相当する。
私は確かに野心家だった。しかし、それは今までにないほど、偉大で気高い野心だったのである。
私は国民の自由を第一に考えてきた。事実、帝政は一種の共和制なのである。
プロイセンのあのすばらしい軍隊は、秋の日の出の靄のように消えてしまった。
真の征服、いかなる悔恨も伴わぬ征服とは、無知の征服だけであります。
フランス学士院の会員に選出された際の謝辞。
私は常に仕事をし、よくよく瞑想をする。私がいつもすべてのことに応えすべてのことに立ち向かおうと待ち構えているように見えるのは、何かを企てる前に、永い間瞑想をし、起こるかもしれないことを予見しているからだ。他の人々にとっては思いがけないと見える場合にも私のいうべきことなすべきことを突如としてひそかに私に啓示してくれるのは、天才ではなく熟慮であり、瞑想なのだ。
荘厳さから滑稽さまでは、わずか一歩にすぎない。
私はギリシアのポリスでおこなわれたことをフランスで実現したかった。
欧州で外交がある国は、二つのみ。すなわちイギリスとタレイランである。
タレイラン、貴様は絹の靴下を履いた糞だ。
Monsieur, vous êtes de la merde dans un bas de soie. Extrait d’une Lettre à M. Talleyrand
国民を甘やかしては優れた統治者とはいえない。
国民はその意思に反してこれを救わねばならない。
フランス人ほど統治しやすい国民はいない。
スペインの潰瘍が私を破滅に追いやった。
戦争に勝つために必要なのは判断力であり、イデオロギーではない。
戦争においてはいたずらに多くの人間がいても何もならない。一人の人間こそすべてである。
ひとたび戦いを決意したならば、その決意を持続しなければならない。
翌日の戦闘に備えて新鮮な部隊を残しておく将軍は、ほとんど常に敗れる。
君の軍隊が数において劣勢ならば、敵に兵力を終結させる暇を与えず、移動中の敵を攻撃するがよい
最良の兵士とは戦うよりむしろ歩く兵士である。
血を流すのはもうたくさんだ。
私はカール12世の様にはなりたくない。
ロシアからの撤退中の言葉。100年前の大北方戦争で敗北したカール12世を意識して。
将軍とは軍隊の頭であり、一切である。ガリアを征服したのはローマの軍隊ではなく、カエサルである。ローマの入り口で共和国を震え上がらせていたのはカルタゴの軍隊ではなく、ハンニバルである。インダス河のほとりへ赴いたのはマケドニアの軍隊ではなく、アレキサンダー大王である。
中国が目覚める時、世界は震撼するだろう。
いかなる生涯においても、栄光はその最後にしかない。
それにしてもわが生涯は何と言うロマンか!
偉大なるグスタフ・アドルフを見よ! 18ヶ月のうちに、彼は最初の戦いに勝利し、2度目に敗北、そして3度目に命を落とした。彼はなんと安価に名声を手に入れただろう!
フランス軍の先頭に……
末期の言葉。皇后ジョゼフィーヌの名を呼んだという異説もある。

寝床につくときに、 翌朝起きることを楽しみにしている人は幸福である。

カール・ヒルティ
寝床につくときに、 翌朝起きることを楽しみにしている人は幸福である。

ヒルティ¥ 819

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ヒルティは、人間の幸福は仕事の中にこそあると言います。
特定の人に対する責任感や愛情から始まり、創造と成功をもたらすような不断の仕事の中にこそ幸福はあると言っています。

私の好きな一節を紹介します。

「世にはわれわれの力の及ぶものと、及ばないものとがある。われわれの力の及ぶものは、判断、努力、欲望、嫌悪など、ひと言でいえば、われわれの所産の一切である。われわれの力の及ばないものは、われわれの肉体、財産、名誉、官職など、われわれの所為でない一切のものである。われわれの力の及ぶものは、その性質上、自由であり、禁止されることもなく、妨害されることもない。が、われわれの力の及ばないものは、無力で、隷属的で、妨害されやすく、他人の力の中にあるものである。」

「それゆえ、きみが本来隷属的なものを自由なものと思い、他人のものを自分のものと見るならば、きみは障害に会い、悲哀と不安におちいり、ついには神を恨み、人をかこつことになるであろうことを忘れるな。これに反して、きみが真に自分の所有するものを自分のものと思い、他人のものを他人のものと認めるならば、だれもきみを強制したり、妨害したりはしないであろう。きみはだれをも恨まず、非難せず、またどんな些細なことも自分の意志に反してなす必要はないであろう。だれもきみを害せず、きみは一人の敵をも持たないだろう。そして、きみの不利となることは一切、起きないだろう。」

結構、納得できる言葉なんです。時々読み直している本ですね。こころが軽くなります。ははははははははははははっはは~

叱ってくれる人を持つことは大きな幸福である

叱ってくれる人を持つことは大きな幸福である
松下 幸之助

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“経営の神様”、松下幸之助のベストセラーの完全復刻版(旧著は昭和38年刊行)。
混迷の時代にこそ、モノづくりの原点を説き続けた著者の哲学が指針となろう。

<主な内容>
■会社経営のカンどころ
■責任の持ち方
■金だけが目的で仕事はできぬ
■事業に失敗したらどうする?
■長期勤続のちから
■伸びる会社・伸びる社員
■難局を切り抜ける条件
■事志に反す
■物の見方 考え方
■商売の道
■役に立つ人間
■「のれん」の精神
■心の持ち方
■私の学校教育論
■経営についての考え方
■日本の経営者 アメリカの経営者
■人多くして人なし

今から40年以上前に書かれた本ですが、松下さんの言葉は鮮烈です。

「世の中のために、頭を低くして働いたならば、国家でも会社でも、
必ずもっと強い力が結集されて栄えるはずである」

「むつかしいことよりも、平凡なことの方が大切である」

「人間はみんなそれぞれ使命に生きている。その使命に生きている人はみんな尊い」

などなど今、忘れかけている本物の知恵が満載です。

人生は全て次の二つから成り立っている。 したいけど、できない。できるけど、したくない。

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ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ

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負けても終わりではない。やめたら終わりだ。

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ニクソン

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天才の一面は明らかに醜聞を起こし得る才能である

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芥川龍之介

芥川 龍之介¥ 720

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こいつが最初三十分ばかりの幸福なら、 財布をはたいてでも買ってやるところだよ。 だがね、生涯つづく幸福!これには到底耐えられないね。 この世の地獄だ。

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バーナード・ショウ

鳴海 四郎
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私が死んだ時、私のために泣いてくれるというのなら、 私がまだ生きているうちに哀れんでくれ。

私が死んだ時、私のために泣いてくれるというのなら、 私がまだ生きているうちに哀れんでくれ。
出典:ユーゴスラビアの諺

柴 宜弘¥ 1,890

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